趣味や音楽、写真、ときどき俳句13-4 松山藩松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について4
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虚子の回想によると、池内家ーー虚子は元来池内姓で、家名を継ぐために高浜家に入ったーーで東野の地は度々話題に上ったらしい。
江戸期から明治維新へ至る多難な時代を経た池内家――松山藩は朝敵とされた上に俸禄返還で困窮した士族は辛酸を舐めた――にとって、祖父の一家が東野に住んでお茶屋を管理した平穏なひとときは懐かしい思い出であった。13-1冒頭に掲げた虚子句、<ふるさとの此松伐るな竹伐るな>にはこういった背景があったのだ。
ところで、虚子から東野の話を折々聞