ノルマ(Pさん)

 先週あたりから、1日八枚、何かしらの文章を書くというノルマを設定した。
 八枚というのはハンパだけれども僕は手書きでA4のルーズリーフに二段組でものを書いているので、裏表合わせて原稿用紙換算の約四枚分になり、それの二枚分でだいたい八枚分になるのである。
 ルーズリーフの右上に日付と、同じ日付の紙が増えたらナンバリングをしているだけで、とにかくそれが羅列されている。
 日記と抜き書きと小説とここに書くエッセイが混在しているのである。
 こう書くとごちゃ混ぜのようでもあるが、自分の中でどれを書く気分というのがハッキリ分かれているため、そういうごちゃ混ぜなものが好きなんだけれども、どこか整然としてしまうのである。
 自分が書いたものぜんぶひっくるめて1日八枚というノルマを設けており、その日机に向かったらまず二枚のルーズリーフをリングから取り外すようにしたのだが、その白紙の紙がもう十枚近く、溜まってしまっている。
 原稿用紙換算で四十枚くらい、借金があるということだ。
 これはもう諦めるか、何でも良いからテキトーに文字を埋める必要があるのである。
 今年は、仕事などいろんなことを言い訳にして、書くことをほとんど諦めていた。前段の自問で言えば、後者に傾いているのである。物理的なことを言って、何かしら文章を書き続けているというのは重要なことのようであり、数日間、ひたすら書き続けることをしていると、なんとなく、文章の滑りが良くなる。それが書く内容としてよく働くのかどうかというのは知らないけれども、少なくとも、取捨選択の幅は増える計算になるはずである。
 それから、趣味で買った万年筆のインクの滑りが全然違う。今まではかなりインクフローにムラがあったのだが、今はほとんどなくなってきている。
 これが継続されないのはもったいない。年末の実に中途半端な時期にはじめたノルマであるが、これを継続しようと思っている。けれども、内面に全く何にも見つからないということが度々ある。それはそうだ。たぶん人間は、自分で考えているほど、毎日なにかしら考えているわけではない。経験に積み重なっているわけではない。何かを覚えているわけではない。実際に全部吐き出すように書き出してみると、たったこれだけのものかと、驚くことがしばしばある。
 そんな場合には他人の考えを借りることもしなければならないだろう。大量に書き続けている人はすごいと思う。このnote上にも何人もいる。小説でも日記でもネタでも、日課的になにか書き続けている人が。

 年末でクリスマス当日だけれども特記すべきことは何もなかった。驚くほどである。
 ひとつ思い出したのは、僕が小説を最初に書き始めようと思ったとき、選んだシチュエーションは、クリスマスのお祝いの時か、誕生日のお祝いの時だったと思う。何度書き出そうとしても、不思議なくらい、クリスマスと誕生日という発想は、頭から離れることはなかった。それは自分が子供のころに考えたことであって、子どものころに自分にとって重要な出来事なんて、それくらいしかなかったということだろうか。そんな貧しいことがあるだろうか。
 また唐突に思ったことだけれども、今この原稿はキーボードで直接書いている。前半はスマートフォンで入力した。noteの記事は手書きして写すことと直接スマートフォンで書くことと、直接パソコンで書くことがある。それで、いろんな段階を見比べてみて、キーボードで書くことは、口述筆記と手書きとの間くらいに位置する気がする。僕が職場でキーボードで入力すると、必ず早いと褒められる。十年前くらいに、ゲームでさんざんタイピングをやりこんだからだ。三年間くらい、勉強も就活もせずにひたすらタイピングゲームを一日十時間くらいはやりこんでいた。今、少しそれが役に立っているということだ。それもなんという貧しいことだろう、何という浪費だろう。キーボードでの入力が、結局のところ不正確だと常々思っていた。僕が入力する文章は、画像として、一筆一筆が思った位置にはないのである。いわばプリセットされた手書きの漢字に当てはめられているのであって、それは果たして私の書きたかった文章であるのだろうか。とはいえ、いわば自分が喋る際の発音の記録の一つと取れば、案外正確であるのかもしれない。そんな意味合いである。
 僕は強迫観念的なところがいくつもある。今は乗り越えたけれども、前はひどかった気がする。書こうとすればまず最初にクリスマスか、誕生日のシチュエーションから離れることが出来ない。その理由はわからない。書くことに対して、どれが正しいのか永遠にわからない。だとしたら、どれも試し続けることしか我々にはできないはずである。かつて手が腱鞘炎になるまで絶対にタイピングゲームを続けるというノルマを課した。その強迫観念についてきてくれる仲間が、かつていた。実際に腱鞘炎になった。指が一切上がらない。特に中指を上げる、手の甲の中心がずっと火のように熱い感じがした。何日間かほっといたら治ったけれども、あれももっと過度に続けていれば、何かの後遺症が残っていたかもしれない。面白いことを言わなければならない。今年が終わるまでには、何かを成し遂げなければならない。今年が終わる。今年は残すところあと2パーセントくらいである。信じられない。
 皆様、メリークリスマス、アンドハッピーニューイヤー。楽しい人は楽しめばいい。

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