Pさんの目がテン! Vol.73 尊大な新人 磯崎憲一郎『金太郎飴』1(Pさん)

 磯崎憲一郎の『金太郎飴』を読み始めた。磯崎憲一郎の、十年間分くらいの、エッセイやインタビュー、時評などをまとめた本らしい。

 確か、本人が考えた題名で、編集者か誰かに「違う題名にしませんか」と言われても、断固としてこれにすると言って決まったものだった気がする。
 これは去年末に刊行されたものだから、ほぼ一年ごしに買って読み始めたので、かなり出遅れた感じはある。
 しかし、読み進めると、一年の差など、わずかなものに思えてきた。
 今の所、デビュー作の『肝心の子供』、『眼と太陽』、『世紀の発見』、『終の住処』などを書いている時期のインタビューやエッセイを読んでいる。特に、ゴータマ・シッダールタ、ブッダと呼ばれる仏教の始祖の、しかも宗教とか、各国からの回顧的な視線などというものを一顧だにしないような、人間そのものを、三代記のような感じで書いている『肝心の子供』、これは本人が何度も繰り返し、年月が、普通の小説よりも素早く、たとえば十年という単位の歳月が、行もまたがずに過ぎるといったようなことを心掛けて書いているらしい。それは小説的技術というよりも、作者が身体的に感じている時間らしく、そういう時間の方がリアリティがあるとか、小説的に流れる時間の方が本当だ、というような言い方を、ここではしている。
 また、デビューが年齢に比して遅かった作家でもある。四十歳を超えてデビューしていた。小説を書き始めたのは三十五歳の時だったといっている。しかし、その五年間、緊張感を持ちながらも、どこか「絶対に小説家になる」という確信を持ちながら、デビューとか、芥川賞の受賞とかを迎えたらしい。この点でも、どこか普通の人と時間の流れ方が違う。
 読んでいるうちに、その時間の過ごし方みたいのがこちらにも染み出してくるようなところがある。
『赤の他人の瓜二つ』以降、じつは推している作家だけれども追えていない所がある。しかし、自分が小説を書き始める上で、理想としていた作家の一人ではあったので、原点に返る気持ちで、振り返る必要を感じた。
 ともかく、時間がないと感じるより、時間なんてまだあると、余裕を感じていた方が、いいものが出来るような気がする。気のせいかもしれないけれども。

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