Pさんの目がテン! Vol.26 E.M.フォースターから見た「ヴァージニア・ウルフ」1(Pさん)

 いつか、ヴァージニア・ウルフが、E.M.フォースターの小説を評したエッセイについて触れたけれども、先日開催されていた、三省堂書店池袋店内の古本まつりで見つけた「フォースター評論集」(岩波文庫)の中に、そのフォースターの「ヴァージニア・ウルフ」の評論というのがあったので、読んでみた。
 何というか、交錯するけれども交わらないという変な距離感があったので、これは誰かが分析していたら都合がいいけれども、何か得体の知れない存在感が、互いの評論に生じていたので、これは興味深いと思う。
 僕は、ヴァージニア・ウルフは、青年期から読んだり読まなかったりしつつも常に意識していた作家ではあるので、気に入っていたり、身近に感じたりしていたけれども、フォースターという小説家については、あまり自分の好んで読んでいた作家からも、これを読めとか、どういう小説家だといったような評判は聞いていなかったので、あまり印象に残っていなくて、この対バンともいえる交錯について、不公平とも言えるような先入見が避けがたく身にまといついてはいるんだけれども、それを差し引いてもフォースターの評論の方が、なんというか真摯には感じなかったフシがある。
 この、評論と書いたけれども実際にはどこかで行われた講演であるらしいけれども、講演は、ヴァージニア・ウルフが、確か入水自殺したすぐあとに行われているらしい。
 くだんのヴァージニア・ウルフの「E.M.フォースターの小説」は、当然だけれども、E.M.フォースターが生きている間に書かれていて、ヴァージニア・ウルフは、「彼はまだ存命であるから、今、この進行中である小説群、小説家に対して、あたかもチャールズ・ラムに対してとか、サミュエル・ジョンソンに対してと同じように、すべての作品を目の前に並べて、それに対して何かしらの判断を加えるということは、とても難しい」みたいなことを言っていた。
 それに対して、E.M.フォースターは、その時点で、パニクっていたのかは知らないけれども、不慮の事故によって、目の前に、すべての作品を目の前に揃えることが出来たということが、出来るわけではあった。(続く)

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