Pさんの目がテン! Vol.45 ガラスペンとウィリアム・モリス(1)(Pさん)

 先日、万年筆のインクを買ったと言ったけれども、万年筆のインクというのは、別の種類に切り替える時、割合めんどくさい。一回インクを使い切って、水を何度も入れたり出したりして、もしこびりついているインクなどがあったら、一昼夜水につけておくということをして、新しいインクを入れなければならない。その間、ペンは使えないことになる。水を出し入れする洗浄作業は、それ自体は慣れてしまえばわりと楽に出来るようになるし、楽しみすらある。
 とはいえ、一苦労であるのは変わらない。そこで、ガラスペンという、ただでさえシンプルな万年筆の、さらに上を行くシンプルさを持ったペンを、購入した。知っている人は知っている、ガラスペンである。
 万年筆は、いろんな形態があるにしても、ペンの芯にあたる部分に、インクがたまっていて、ふつうに立てるとインクが出過ぎるからペン先へ行くにしたがって細い部分が増えていき、最後に、ペン先(金属の部分全体)、スリット(ペン先に、真中まで入れられているさけ目)、ペンポイント(一番先端の、スリットの先が丸まっている部分)という風に、毛細管現象を使って、ゆっくりと降りてくるようになっている。
 全体として、ペン先はギリギリまで細い管にして、流れを止め、その上に、インクタンクにあたる、インクを溜める筒がある、という感じになっている。
 対して、ガラスペンは、つけペンといって、何行か書いてはつける、また何行か書いてはつける、という書き方を前提としており、驚くところは、ペン自体は、どこかに穴とか、すき間とかが開いているわけではない、ガラスの塊である。ところが、画像で見てもらうとわかるかもしれないが、ペン先の外側に、らせん状に何本も、スリットが入れられており、その、ペン先の外側に、表面張力が許すかぎり、インクを溜める、という仕組みになっているのだ。

 どう言ったらいいのか、今まで万年筆を使っていた身からすると、購入前に想像した限りでは、「表面に吸わせるだけだとしたら、ほとんどインクがペン自体にはとどまらないのではないか。何文字か書いてはつけ、書いてはつけ、するんだろうか。現実的に使えるの?」という疑問がどうしても付きまとった。しかし、ものは試しだし、逆にいろんなインクを持っていて、ちょっとずつ使いたいというときに重宝するのではないか、という予想のもと、購入した。
 しかしこれがなかなかどうして、予想をはるかに上回る使い心地で、万年筆をはじめて使って以来の、根本的な価値転換があった。インクがもたないのでは? という予想は、いい方向に裏切られた。この文章でいう一段落くらいなら、一回つけるだけで平気で書き進められる。書くリズムとしては、ひとフレーズか、ひとくさり書いたあとにつけて、また書き継ぐ、という風になる。今、この手書きで書かれた文字を、パソコンで入れ直しているのだが、追記すると、ひとしきり書いて、何か書きあぐねた時に、暇つぶしじゃないけど、次の内容を考えがてら、ペンをつけるという作業をすると、非常に自然に書けることになる。確かに一手間かかるにはかかるが、想像していたほどでは全然ない。何より、ただのらせん状に溝の入ったガラスの先端で、すらすらペンのように書けるという驚きというか楽しさがあり、これは伝わるだろうか、科学実験などで、見た目で楽しめるものがあるが、それを目の当たりにしているワクワク感がある。ガジェット感があるというのか。スチームパンク的道具のような感じ。
 そう、やっと題名に近付いてくるのだが、これが、たぶん中世とか、その辺でも利用されていた仕組みだと思うと、それが現代においてもちゃんと使い物になるという、心地の良い時代錯誤感、みたいのがある。まあ、こういうものをこそ、酔狂、というのかもしれないが……この楽しい感じ、酔狂でけっこう、と言いたい。(続く)

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