Pさんの目がテン! Vol.31 『フォースター評論集』より(1)

このフランスの偉大な芸術家は、誤解した人々に敬意を表し、涙を流し、イトスギやナツメヤシについて語るが、それぞれの国の神髄にたいする絶賛の念は、その国の一人の女性との密通に結晶している。ロティ氏の結婚は至るところで成就するのだ。フランス人が情事に飽きることはなく、ソルボンヌのある教授は、この作家を「われわれの世代の最高の作家」と称している。イギリス人はそれほど辛抱づよくないので、毎度同じやりかたにはつきあいきれない。

 フォースターの『評論集』(岩波文庫)の、「オリエントに敬礼!」の一節。フォースターの小説と評論を読んでいると、また何かしら得体の知れないものが了解されてくる。この箇所は、おなじみといってもいい、フランスとイギリスの文化の違いが現れている僕は今まで海外文学とか思想とかでは、フランスのものにやや偏っていたので、急に目が覚めるようにフランスの国から生まれたものはそれはそれで盲目な部分があるなということに思い至った。もちろん、ロティの小説を読んだこともないから、ここに書いてある通りのことに同意するのでもないけれども、どこかそういった傾向があると思わされる。何というか、よく言われているのは自国の文化に自信を持ちすぎるということだけれども、それによってどこか非現実的で、のどかなところがあり、その表れの一つが、言葉は違うがこの「結婚」という言葉なのではないか、と感じた。
 もちろん、イギリスにそうしう盲目なところがない、なんていうことは全然ない。フォースターのこの評論集の中の発言に見える、『インドへの道』に結実するオリエンタリズムの中に、妙に情熱的な部分があり、言い方を工夫しているけど要は植民地主義じゃないか、と思えるような部分もある。
 やっぱり、こういうわかりやすい言い分は慎まなければならないかもしれない。ピエール・ロティを一部取りあつかった、僕が影響を受けた別の評論のシリーズがあり、ここで取り上げることになるかはわからないが、そこではそんなにわかりやすい、新聞の紙面みたいな単語で断言するようなことはしていなかった。
 そうすることが、どういった弊害を生むだろうか。(続く)

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