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はじまりとおわり(ウサギノヴィッチ)

特にテーマもなく書いてみる。

ラジオを始めた。
いろんなところで宣伝していて目障りかもしれないけど、PさんとYouTubeでラジオをはじめました。
編集のため何回か聞いたけど、Pさんのクセや自分へのダメ出しが出てくる。
ラジオはフィクションじゃないから、一発勝負でそのときそのときの瞬発力が求められる。自分で「ある」と言い切ってしまうとうぬぼれているみたいだし、自分には「ない方」だと思っているから、「じゃあ、なんでやっているの?」ってなってしまうけど、そんなのは経験だと思ってしまう。だから、筋トレみたいにやっていくうちにできるようになると思う。
甘い考えかもしれないけど。

ぼくは「継続は力なり」という言葉を信じている。過信しすぎている。
だから、一回続いたことをやめることを恐れてしまうし、自分がものすごくダメな人間に見えてしまう。
春にレビューを書いていたときもいつやめようと思っていた。
「辞めたい」と頭の中では思っていても、それを厳罰する自分がいてせめぎ合っていた。そして、何日も先の分レビューを作っておいて、さも自分のやっていることが楽なように見せかけていた。しかし、実態は、一日一短編を読んでいた。
最終的に、別の五月の大連休が五月病を呼んで、精神を病んで本が読めなくなってしまった。
と、ここまで書いておいて、「継続は力なり」のなにを部分を言っているのかわからないと思うが、少なからず、レビューで読んでいた時期は古今東西の本を読みなかしら吸収はできたので、ひとまずは成功とは呼べるが、ぼくのこころの中では葛藤の渦が巻き起こっていたのだったということだ。

あと、ラジオの編集やりながら、「本末転倒だなぁ」とか思ってる。
「小説書きたいけど、書けないし、読みたいけど、読めないし」と、ラジオが逃避の場所となっている。
僕は作家(クリエイターとしての意味の)だと思っているので、いろいろなことができるのは楽しい。でも、いつ自分の本業、小説を書くことが再燃したらどうしようと思ってしまう。
そんなことを忘れて、今は自分の目の前の楽しいことを楽しめばいいのに、どこか悲観的というか、リスク管理をしている自分がいるのがさみしい気持ちがする。
でも、幸い、ラジオの編集は、フォーマットさえ作ってしまえばそこへソースを流し込んで、微調整すればいい形にしたので、小説にはいつでも戻ることができる。

そんなわけで、こんな感じで「崩れかけのラジオ」が始まったわけです。
みなさま、どうぞよろしくお願いします。


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