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「歩く」と「男の尊厳」についての重要性

 闘病記を再開する。
 自分の気持ちに少し整理がついたから。
 今思い出しても病院の生活は地獄だったとしか言いようがない。

 手術した翌日から、歩くことを練習させられた。一番最初は看護師さんが付き添って歩いたが、途中でめまいがして歩けなくなってしまった。それに重なって、レントゲンを撮りに行かなければならなっかった。でも、そこまでの気力がなくて、車椅子に乗せられてレントゲン室まで行った。レントゲンを撮るには、立たなくてはならず、立って撮影する機械の前に立ったが、そこから気を失ってしまった。気がつくとぼくは独り言を言っていて、看護師さんと撮影技師さんがぼくの名前を呼んでいた。ふと我に返ったとき自分は気をうしなっていたんだと思い、うるさいくらいの自分の名前を呼ぶ二人に「大丈夫です、大丈夫です」と言った。そこからは目がはっきりして、レントゲンを撮り終えた。
 自分の部屋の階に戻り、歩く練習が続けられた。そして、なんとか廊下を一往復したことで、看護師さんはOK出して、カテーテルを抜くことができて自分でトイレに行くことができるようになった。
 この日はまだ食物らしきものが出てこなかった。代わりに点滴で栄養を補った。
 また、眠れない夜がくるのかと思って憂鬱になった。あと、小便は催すけどでなかった。理由は簡単で背中の麻酔が聞いているからだった。それが抜けたのが、二日後だった。
 その間、どうやって小便をしたかというと、看護師さんを呼んで、カテーテルのしくみで尿を出していた。病院にいることで羞恥心がなくなったのか、女の看護師さんに自分の元気のないペニスを見られることが恥ずかしくなかった。病人であることで男としての尊厳を失ってしまったらしい。
 でも、タイプの女性看護師に尿を抜かれているときは、どこか恥ずかしい気がした。
 そうして、眠れない夜は明けていく。今度はスマホもAirpodsがあったから不安は解消された。

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