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USA・MAP

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ウサギノヴィッチにエッセイマガジン。主に短編小説の書評のようなエッセイ中心だが、文学周りだけでなく、サブカルやガジェットまで取り扱う、なんでもエッセイ。
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#文学

失敗した自論、又の名をただ徒然なるままに(ウサギノヴィッチ)

だれかが言っていた。 「霜降り明星はダウンタウンの影響を受けていない」と。 この場合のお笑いの影響は、特には漫才のことを指す。 霜降り明星は、大体二十代後半だったような気がする。 そんな年の子がダウンタウンの漫才なんか見たことがあるだろうか? いや、あるとは思うが、そこで影響を受けていないと言うことだ。それはお笑いにとっては新しい世代の登場なのだ。 それを別のジャンルで考えて、ぼくがよく語る「文学」に置き換える。 文学は本屋に行けば新しいのがあるし、古本屋に行けば古い本だ

阿部和重のことを解剖した哲学者、千葉雅也(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    今、電車に閉じ込められているときに、このエッセイを書いています。    今回は、USA・MAP初めての哲学書を取り上げたいと思います。と言っても、そんなに難しい本ではなく、対談集です。  千葉雅也の『思弁的実在論と現代について──千葉雅也対談集』という本の中の「中途半端に猛り狂う狂気について」です。対談の相手は、作家の阿部和重です。    話は、阿部和重の初期の作品から現在の作品まで縦横無尽に語りますが、そんなに新しい発見があるか? と

「文学」について

 どうも、ウサギノヴィッチです。    昨日の予告通り、「文学」の話をします。    まだ、十連休から仕事に適合出来ていないのがあれで、以前みたいに休憩中に執筆することができないんですよね。  題材となる本は読めているし、だいたいなにを読むのかは決めているんですが、まぁまだグズグズだから、帰りの電車でポチポチ書くのもいいかなと思ってます。    んで、本題。 「文学」とは?  なんなんでしょうね?  僕は話すのは好きなんですが、なんか熱持って話されるとなんか僕が段々と冷めてい

昨日の文フリについて(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    昨日は、文学フリーマーケットでした。(時系列は察してください)    なんかねぇ、これと言って特に感慨もなく終わってしまって、「文フリ」ってこんなんだったっけって思いました。  いや、語弊がないように言えば、面白かったんですよ。面白かったんですけど、なんか不発に終わった感があるんですよね。  売上は、最終的には着地する所に着地したからまあまあかなって思いました。  そこで実感したのは、やっぱりもうちょっと宣伝に力入れた方がいいかなという

チェリーブロッサム コンプレックス(ウサギノヴィッチ)

 どうも、ウサギノヴィッチです。    日差しが暖かくなって、電車の窓際に座っていたら、眩しいながらもウトウトしてしまいました。  春がやって来てますね。  春が来るとメランコリックな気持ちになっちゃうんですよね。同じことが秋にも起きるですが、秋の場合は完全にダウナーな感じなんですが、春の場合はアッパーも入ってるんですよね。    桜の木になにか引き寄せられるものがあって、坂口安吾や梶井基次郎の世界観というか、ようは華やかなものとダークなものがごちゃ混ぜになっている感じ、そう