【#いい時間とお酒】見えなくなる夜の先

窓枠で切り取られた夜の風景が好きだ。
見えなくなる景色の先に想像を超える未来が待っている気がしてドキドキする。そう思うようになったのは、あの日からだった。

---
 
「あの雑居ビルの2階のカフェ、意外にウマイよ」
もう数年前のことだ。
当時、新卒2年目のわたしに上司が話しかけてきた。営業の仕事が板につかずに四苦八苦していたのを見かねて、息抜きでもしてきなよ、という意味を込めて教えてくれたのかもしれない。
 
あの頃のわたしは仕事だけじゃなくてプライベートも散々だった。大人の事情で親族のいざこざに巻き込まれ、口外できないような心の荒み方をしていた。少女漫画の中だったら、年上で、お金持ちで、親族のいざこざも「僕に任せて」とか言って瞬時に解決できちゃうようなスーパーエリートがどこからともなく現れてくるところだろう。しかし、そんなことが起きるのは妄想の世界だけ。仕事も、あらゆる人間関係もダメダメで、全然イケてなかった。
 
「行ってみるかぁ」。ある金曜日におもいきって、カフェへ向かってみた。吐息が白くなる寒い日だった。ひざ丈まであるロングコートを着て、マフラーも巻いて、7cmヒールのブーティを履いてカツカツと足音を鳴らしながら夜道を進んだ。
初めてのぼる階段の先にカフェの扉が現れた。茶色くておそらく植物であろう彫刻があしらわれたアンティーク調だった。重厚感に圧倒され、押すのが躊躇われた。『押す』のかと思いきや、『引く』だった。「ギィィ」という音と共に店内への道が開かれた。カフェというより、barという印象の店内。すでに2名のお客さんが週末の疲れを発散しているようだった。カウンターの奥にいた漆黒のワンピースを着た店主さんが控えめな声で「お好きな席に、どうぞ」と招いてくれた。赤みがかったオレンジ色のライトが遠慮気味に薄暗く灯されていた。
 
細長いメニュー表を手に持ち、目に留まったドリンクとアラカルトを注文した。普段はあまり飲まないアルコール。選んだのは数回しか飲んだことがないサングリア。
これまたアンティーク調の赤い色をしたワイングラスがスッと差し出された。2階の窓際の席から商店街の様子を見下ろす。手慣れてそうな所作を意識しながらサングリアを口にした。
 
外はもう夜も深くなって暗闇に街灯と何軒かのお店の光だけが浮かんでいる。人通りの少ない歩道。ときより走っていく車。目で追いかけていた車が窓枠で遮られて見えなくなって、あの車は一体どこへ行ったのだろうかと知りもしないドライバーに想いを馳せた。
 
ずっと、心が四方から何かに引っ張られて、痛んで、荒んで、物事を考えたりする余裕なんてなかったのに、これはアルコールのせいだろうか。その何かの力が緩まって気持ちに余白が生まれたのかもしれない。ボーっと、通り過ぎていく車や人々の行先、そして、わたしの未来を想像した。
大変、つらい、嫌だ、そんなことばかりじゃなくて、楽しい未来が待っていてほしい。『もう少しがんばってみよう』。カバンからスケジュール帳を取り出してメモをした。

あの日から何度、夜の街を横目にじぶんに言葉をかけてきたのだろうか。
『今日もがんばった』。
『明日もがんばろう』。
こんな少しずつの時間を積み重ねて、いまがある。 
 
---

さてと、だたいまの時刻は23時10分。部屋の奥では子どもがスースーと寝息をたてている。「好きだよ」と予期しない形で告白をしてくれて、あれよあれよという間に最愛のパートナーとなった年下の彼はお風呂に入っている。
忍び歩きで部屋を移動して冷蔵庫から低アルコールの缶ビールを持ち出しダイニングテーブルへ。本棚から日記帳も手に取ってイスに座わってから、栓をプシュッとあける。そのまま一口、ゴクッ。一口では足りない、間髪なくゴクゴク。缶ビールの向こうにはリビングの大きい窓があって夜の景色が広がっている。ご近所さんの家々の灯りがまだちらほら着いている。
 
『今日もがんばった』。
『明日もがんばろう』。

毎日がんばるから、いつかもっと何かできる人になりたい。ああ、少し酔ったかな。見えなくなる夜の先に、カッコいいじぶんが待っている気がしてくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?