過去は「ほんの註釈」って思うことは優しい。
宇多田ヒカルさんの詩が好きです。
ふと、耳に届き心にグッサリと刺さった詩があります。
「play a love song」という楽曲の一節
友達の心配や 生い立ちのトラウマは まだ続く僕たちの歴史のほんの註釈
なんとなく、私よりもかなり若い人に向けての言葉だろうと思うのですが、心がものすごく反応したのです。
反応したことで、私は、転勤族で育ったことイジメられたことを負のコンプレックスとして、いまだに持ち続けていると気付かされました。
そして、私が知る限りの宇多田ヒカルさんの生い立ちに思いを馳せたとき、宇多田ヒカルさんは、それが自分を作る真ん中の柱ではないと知っているのだと感じたのです。
自分の嫌な部分を育った環境のせいにするのは、とても簡単で楽なことです。
でも、もう、それだけを理由にできないこともわかっていて。
わかっているのに、どこかで拠り所するのはもうやめよう、やめないと進めないし、かなしいよ?って言われたような気がしました。
「ほんの註釈」という言葉には、過去を否定しなくてもいいからねっていう優しさも感じます。
註釈の解釈は自分次第ですものね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます😊
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