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【思考】すべての物は終わらせるべき

皆さんが想像する「ラスボス」像に近しいであろうタイトルを付けたが、なにもニヒルな記事を書こうというわけではない。

是非、緊張感を解いてお読み頂きたい。


最近のくぜは毎日更新していたnoteの更新頻度を下げる程度には忙しい。

仕事にしろ趣味にしろ、やりたい事ややらなければいけない事が多いからだ。

そして、全てが上手い具合に中途半端になっている感じが否めない。

最近のアクティビティとしては、

・運動不足が板についてきたので毎日走ることにした。

・多方面で表現できるべく、毎日ワンドロ(一時間で絵を描く)を始めた。

・ブログの集客やブラッシュアップに心血を注ぎはじめた。

上記に加えて、今まで継続していたことは時間や質を変えて継続するようにしている。

自他共に認めるロングスリーパーであることも相まって、やはり1日は24時間では足りないと感じる昨今だ。


そんな、自称忙しい日々を送り、中途半端になっている中で突然思い出したかのように、私が感じた事は「とりあえず終わらせるべき」だ。

何を思い出したのかと思って言葉のままググってみた。

Done is better than perfect.
(完璧を目指すよりまず終わらせろ)

マーク・ザッカーバーグ

マークザッカーバーグは今やGAFAのFを担当しているFacebookを立ち上げたプログラマーだ。

前職のもう一つ前の会社で行われていた不毛な会議の際に教わった、唯一不毛でなかった言葉だったと思いだした私は、当時から5年程経った今、これを反芻している。

この言葉を自分の経験則から読み解いてみた。


物事の大半は修正が効くものであることが前提だが、不確実な「完璧」より、完成品を動かしてから修正をする方が時間的な効率は大きい。

不確実な完璧と表現したのは、「完璧」の定義が主観的なものである側面が大きく、ニーズに沿わないものに時間をかける恐れがあるためだ。

それどころか、はやく仕上がるという付加価値を捨てる事にほかならない。

だとすれば、完璧という幻想をいったん置いておくとして、不格好だけど動く状態を完成とし、後からテコ入れをして完璧に近づけるべきだ。

実際に動いているところをみると、当初想定していた完璧とはまた違った完璧のビジョンが見える事もある。


ここで大切なのが、「終わり」の設定の仕方だ。

ゴールまでの距離が予め決まっている徒競走の様な作業もあれば、深海の底を目指すような先の見えない野望もあるだろう。

前者の様な定量的な作業は進捗が一定の水準を満たせば「終わり」とされている事が多い。

終わりの水準を満たせば終わり。これは当然の事だが、同じ作業をしていても人に寄って進捗率は違う。

ここで焦点を当てるべきは、その作業に対する「余裕」だろう。

コストや時間、能力があれば終わりの基準を満たしても、その作業を効率化したり、より良い結果を求めたり、いわゆる完璧を目指す事も叶う。

もっとも、そのような+αよりも求められている他の作業があるかもしれないが。

後者の様な例はもっとわかりやすい。これは自分が納得できれば終わりだ。

終わりの設定を誤り、目標が達成できなかったそれは妥協になるかと思いがちだが、自分が納得さえしていれば終わりだろう。

なお完璧を求めるなら目指せばよい。海の底はいっぱいあるのだ。


では、いまやりたい事がたくさんあり、中途半端になっている私はどうするべきか。

別にどうするべきでもない。実は困っていないのだ。

やりたくない事終わらせ、やりたいことをやっている。

今は中途半端かもしれないが、私は納得していないから終わらないというだけである。

この先時間がさらに無くなって、やるべき事や他のやりたいことを圧迫するようであればその時点で終わらせることをあきらめ、他の事を終わらせることに善処しようと思う。

そのあとに手を着ければよいではないか。











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