ありふれたクズの更生計画が始まった

僕はクズなんだと思う。

しかも、どこにでもありふれたクズだ。


言われたことはできないし、期限は余裕でぶっちぎる。感情のコントロールが効かないし、モチベで仕事を選ぶ。やる気がでない仕事は1週間近く放置する。

これが社会人1年目ならいいよ。仕事になれてなくてナーバスになっているだけだ。感情の問題かもしれないし、いいメンターに出会えれば、克服もできよう。

でも僕は社会人3年目だ。インターンも含めれば、ほぼ3年間仕事をしている。3年仕事をしてみて分かったことは、僕は社会で生活していくことに、およそ向いていないのだろうな、ということだ。

毎日朝起きると、会社に行きたくなさ過ぎて胸が苦しい。朝の4時に起きて、それから9時まで、ベッドでもだえ苦しんでいる。朝の5時間を生きてるんだか死んでるんだか分からない時間を過ごす。ただ出社しても、生きてるんだか死んでるんだか分からないまま仕事をしている。

タスクが終わらなくて苦しい。僕は1つのタスクをするのに、人の2倍は時間がかかる。でも僕にはプライドがあるので、「人の2倍時間がかかります」とも言わない。結果、定時内では仕事が終わらない。でも定時外に残って仕事をするのかと言われれば、割とできない。できるときもあるけど、できないときがほとんどだ。定時外で仕事ができないと、タスクが溜まる。それは次の日のタスクとして持ち越され、ねずみ講的な倍々理論で積み上がっていく。いつまでもタスクが終わらないマンの誕生である。無限にクソを排出し続けるだけのクズである。

僕はクズをやめたい。

僕の人生をクズで終わらせたくない。

自分の人生の可能性を、まだ諦められない。


僕はクズをやめることにした。これが今年の1月である。今は7月である。もう6か月経った。僕は未だクズのままである。

今日から僕は生まれ変わるのだ…

そう思った日の僕は4回抜く。そして力尽きて、何もやらずに次の日になる。生まれ変わろうと思うのが大体土曜日だから、次の日は日曜日で、実は日曜日もなにもしない。だいたい動画を見て終わる。世の中には無限に動画コンテンツが存在するのだ。動画に飽きたら漫画を読む。僕は実は文学少年で売っているんだけど、小説は読まない。なぜなら疲れるからである。

日曜日が終われば月曜日になる。なにもタスクは片付いていない。やばい。どんな顔して出社しよう。胸が苦しい、午前4時。出社まで5時間、タスクの4分の1くらいはできる気がする。でもやらない。そうして仕事は終わらない。

無限ループである。

クズのループ、ループのクズ。転生し続けるクズ。そろそろ死んでくれ。

たまに死にたくなることがある。けれどそんな勇気はないので、死なない。死ぬほど絶望もしていないけど、死んでもおかしくないほどに、自分には飽き飽きしている。またお前か、クズよ。

このループは断ち切られなければならない。

永遠に進まない円形の道を、どこかでチョキンと切り取って、直線の道にしなければならない。

さて、この文章の話をする。

なんでこんな文章を書き始めたか。

それは、僕がありふれたクズだからである。

ここまでダラダラと書いてきたけど、ここまで脱落せずに、まだこの文章を読んでいるということは、あなたはもしかすると、僕に共感している人間なのではないだろうか。周りと比べると自分はイケてなくて、なにをすれば突き抜けられるかわからなくて、将来に不安で、きっと自分は何者にもなれない、そんなありふれた悩みを抱えた人間ではなかろうか。

僕の悩みはありふれている。

ありふれているからこそ、クズなんだと思う。

そんなありふれた社会人のクズが更生する過程を、なにかにまとめられたならば、それには価値があるのではないか。

しかも時系列に沿って、長々と、僕の成長とともに、この文章も広がっていくのだ。これはある種、ありふれたクズに向けたハウツーであり、自己啓発本になるのではないだろうか。

ここには嘘も偽りもない。毎日書いていくから、隠しようもない。脚色なく、その時思ったことを書いていく。等身大のクズがここにいて、そのクズが等身大ではなくなったとき、この文章に始めて価値が出てくる。

僕はクズだ。ありふれたクズ。

だからこそ、この文章に意味がある。

僕が成長していくことに意味がある。

今日から僕は生まれ変わるのだ…








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