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私の311 (東京都内) -6-

ここまでのお話。
地震に気づいてから夜を過ごすまで

私の311-5- から続く

さて再度池袋駅に戻り留まったものの電車は全く動かない、いや地下鉄は動くかもという掲示があった。

40-50分待ったが何も変わらない、このまま駅が開放されれば駅で夜を過ごすのだろうか。

駅近くの量販店に行って自転車買うとか、当時のスマホ(といっても通信機能付きのPDA)のようなものを数万かけて買おうかと思ったが、さすがにこの日のためだけに買うのはコスパ悪すぎと思って買わなかった。

この決断は後で良かったのか今でも悩むところ。

寒い中うろうろ歩いた、携帯ショップが時間を超えて営業しているように見えた。営業しているのだろうか?

あの携帯ショップの兄ちゃんも帰れないのではないのか?店先には電気ストーブがあり暖をとる帰宅困難者他が群がる。みな無言で客でもないのは分かりきっているが、そのまま電気を切らず暖を取らせるケータイショップ。日本の些細なやさしさになんか目頭が熱くなる。

まずは情報収集、鞄の中にあったポケットラジオに耳を傾け、池袋駅構内でぼーっとしていた。

被災情報、避難情報がいろいろ伝えられるが、報道する側もいまいち現状が把握しきれていないのがよく分かった。

なにしろ報道があるたびに 「詳しいことが分かり次第・・・」という常套句が続く、原発は安全らしいと(その時は)報道されていた。

そのうち都内の避難関連のナレーションが始まった。

--「立教大学の講堂を、被災者、帰宅困難者のために開放します。。」

!!、
おぉ、これは。ここは池袋、昔、模擬試験か何か受けるときに立教に行ったので歩いていける距離だ。

暗いし道がよくわからないけど、コンビニ売りの地図でも立ち読みすれば何とかなるだろう。。。

私はとぼとぼと池袋西口にでて、セブンイレブンに入った。

半分くらい物がなくなっていた。当時ダイエット中だったが緊急事態を理由に大盛カップラーメンカレー味を買いお湯を注いだ。

そういえば昼からマックフルーリー以外食べてなかった。
寒さと合わせ、カレーの味が身に染みた。

地図を見るとこの大通りを歩いていけば立教につくらしい。・・・



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