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フィリピン音楽と僕 3 - HP作りと輸入契約

HP製作とオンラインショップ

2004年か5年、本腰を入れてフィリピンの音楽・アーティストを日本に紹介していくべく、ホームページの立ち上げ、製作にとりかかった。
まだwordpressがなかったので、ページは全てhtmlタグを手打ちだ。
幸い、仲の良い友達で自前のHPを作って運営したものがいたので、彼に訊きながら、タグの本とにらめっこしながら。
同時に当時個人で展開できるオンラインショップのサービスを提供する会社も出はじめていた。ヤフオクがメインの販路だったけど、実店舗のような核になるようなものが欲しいと思ったのと、商品の管理がしやすいからだ。CDはリリースを追って仕入れしていくとすぐに100や200、1000タイトルくらいになってしまう。
手作業で在庫管理するのは大変すぎるのでその意味でも販売ツールがパッケージになったオンラインショップは便利だった。
オンラインショップは2006年に契約、オープンさせた。
最初、HPは現地の新聞に毎週掲載されるフィリピン国内のアルバム売り上げチャートを日本語に直して転載、インターネットで得られる情報からニューリリースの話題、アーティスト動向などをメインに記事にしていた。

いざ仕入れに!

お店を作ったら次は仕入れ。
ちょうど2005年はOPM(フィリピンポップス)の当たり年で、人気アルバムが多数リリースされた。
ベテランから若手まで、今でも歌われるスタンダード化した楽曲や記憶に残るアルバムも多い。
その中で一番印象的だったのが、女性シンガーNina(ニーナ)がリリースしたライブアルバムだ。

2005年リリースのNina Live! DVD

2005年リリースのこのアルバムはCDと共にDVDもリリースされ、フィリピン国内で爆発的ヒットとなった。
2002年のメジャーデビュー後もマニラ首都圏の有名ライブハウス、ナイトクラブでのライブを主な活動拠点にしていたNinaのライブCD/DVDは所属のワーナーミュージックフィリピンから、
ライブアルバムを出してみないか?DVDも。そうすればファンは家でも君のライブを堪能できる。
というサジェスチョンを受け、実現した。
90年代には米国R&BシーンでMTVアンプラグドが注目を浴び、多くのアーティストが出演、ライブアルバムやDVD、レーザーディスクなどの映像フォーマットもリリースされていたことから彼女も前向きに考えたのだろう。アンプラグド形式で行われたライブを収録したDVDは予想通り大ヒットとなった。
マニラ首都圏はオルティガスにあるPHI Rest and Barというナイトクラブでレコーディングされたこのアルバムは、全てR&Bヒットを中心としたカバーソングで、人気のゲストシンガーも参加、キュートなNinaの熱唱といい雰囲気の良いアコースティックライブ演奏が収録されていて、日本のお客様からも評価は上々だった。
僕が取り扱いした作品の中でも群を抜いて売れたDVDで、なんどもなんども仕入れ(この頃はまだDVDショップに必要枚数を予約しておいてピックアップに行く形式だった)に行った。

このアルバムは、売れ行きがよかったので買い付けも楽しかったが、同時に、日本にはない独特の流通スタイルを勉強することにもなった。
それは改めて記事にしたい。

現在Nila Live!はリリース元のWarner music Philippinesにより、全編がYoutube上に公開されている。


レコード会社との輸入契約

新しい楽曲を聴ける楽しさと、売り上げが徐々に上がることで、気分的には満足していたけれど、やはり商売・儲けということになると、仕入れのために自ら渡航していた僕には飛行機などの交通費と滞在費用が重くのしかかる。
なんとかならないかと考えた僕は、CDのジャケット裏面などに印刷されているレコード会社のメールアドレス宛にメールを送信した。
日本のCDショップの店主で、フィリピンのものを専門に扱っているのだが、直接卸してくれないだろうか?
というような文面のメールをほぼ全てのフィリピンの主だったレコード会社に送った。返事がなくても1、2ヶ月後にもう一度。。。
しかしどこからも返信が来ない。
それもそうだろう。経済発展途上国のフィリピンといえども相手は大きなレコード会社、いくらジャパンマネーの国からのメールとはいえ、名もない一介のレコード屋の店主からのメールだ。ほぼスルーの状態だったろう。
ある程度覚悟はしていたので、安い航空券を見つけては買い付けに赴いていたのだが、ついにブレイクスルーがやってきた。
2007年のある日、一つの大手レコード会社からこんなメールが来たのだ。

ABS-CBN傘下のStar recordsから来たメール。
差出人本人の承諾を得て掲載。
個人情報は白塗りにしています。

最大手レコードレーベルで、新聞、テレビ、ラジオを所有、映画制作も行っているメディア系コングロマリットABS-CBNの音楽部門Star records (現Star music)からのメールだ。
この会社は、2007年1月から、海外の小売業者に直接CD/DVDを卸す部門を立ち上げ、インターネット上でフィリピンの音楽を販売している店を探してこのようなメールを送っていたようだ。(現在この部門は消滅している)
私のところも、画像にある通り、立ち上げて間もないHPを見つけてコンタクトしてくれたらしい。(やはりメールはスルーだったか。。。)
正直心臓が高鳴った。
すぐに渡航する予定はなかったが、これはチャンス!と、その月内にマニラのABS-CBNへ契約のため赴いたと思う。
部門トップのMさんが出迎えてくれ、契約書を交わした。
緊張していたので、何を話したかよく覚えていないけれど、店名(MIA MUSIC&BOOKS)から、店主は女性と思っていたらしい(画像参照)、待ち合わせ場所に男性が座っているので、恐る恐る声をかけられたのは今でもよく覚えている。
今、彼女は別会社で勤務しているが、現在までおつきあいさせていただいている、フィリピンでは一番長い付き合いの人で、この人との出会いがその後の展開に大きく寄与することになった。

クラス(階級)社会を目の当たりに

大手のStar recordsと輸入契約を結ぶことができたので、仕入れが相当に楽になった。なにせ、フィリピンでリリースされる全CDの2〜3割がここの作品だからだ。
それまで最低でも年に7,8回渡航していたのが、4、5回で済むような計算になる。
しかし一番大きかったのは、担当のMさんの人柄と、フィリピンのクラス(階級)社会だった。
インターナショナル部門の責任者を務めるMさん。後で知ったのだがフィリピンで屈指の名門女子大卒業、お父様もフィリピン随一の名門私学の出身だ。Star recordsの商品は空輸で送ってもらえるようになったが、その他のレーベルのCDは相変わらず飛行機に乗って買い付けに行っている。このことを知ったMさんは、フィリピン国内の主だったレーベルのそれなりの立場にある人を全部紹介してくれた。深く頭を下げてお礼を言うと、みんな友達なのよ、学生時代の同級生もいるし、遠縁にあたる人もいるわ。とのこと。

そうか、フィリピンは良くも悪くもクラス(階級)社会なんだ。大きな会社の国際部門のトップになるような人は、他の会社の同じような立場の人間と(会社関係だけでなく個人的にも)横の繋がりがあるんだな。ということを知った。

彼女の配慮のおかげで、僕の商品仕入れはグッと楽になった。
今でも会えば時々こう話す。
もしあなたが日本語が話せて日本で自由に仕事ができたなら、僕なんか必要のない存在だったよ、と。
彼女は笑っているだけだけど。

次回:フィリピンの企業・商習慣との付き合い

こんな風に、ラッキーが重なってなんとか仕入れを軌道に乗せることができたけれど、次記事では、うまく行かないこと、苦労したことなども織り交ぜた記事を予定しています。

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