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フィリピン音楽と僕 1 - まずは馴れ初めから

70年代にヒットしたフレディ・アギラのアナク(息子)や、80年代の女性シンガー マリーンの一連のヒット曲、日本のディスコに出演していたフィリピンバンドの演奏を別にすれば、僕とフィリピンの音楽との出会いは2000年ごろに始まった。
世の中の状況が激変する中、僕の身の回りもそれに流されるように大きく変化しているので、少しここまでの経緯を振り返ってみようと思い立ったので、ここに書き連ねてみようと思った次第。

フィリピンの音楽どころかフィリピン自体に全く興味なし

東南アジアの島国フィリピンにさまざまな形で関わる人、興味を持つ人は多い。その中には、フィリピンに実際に触れる前にはそれほどフィリピンに関心を持っていなかった人も多いのではないか。
出会いの機会はさまざまだ。
海外旅行でフィリピンを訪れた人、国際性のある学部・ゼミなどで学ぶ中でフィールドワークの一環としてフィリピンを訪れたり、調べたりした人。中には、外国語系の大学入試でたまたまフィリピン語学部に受かったから、という人もいるだろう。職場で出稼ぎに来たフィリピン人と同僚になり、そこから関心を持つパターンも考えられる。
それから、夜の街、妙齢のフィリピン人女性が酒席で客の相手をするいわゆるフィリピンパブがフィリピンとの馴れ初め、という御仁も、数的には大いに違いない。
現在だと、語学留学先として訪れるパターンも割合を増やしていると思う。
いずれにせよ、それまでの人生にかかわらず、フィリピンと関わった、フィリピン人と出会った、フィリピンを訪れた瞬間からフィリピンに関心の目が芽生えることが多いと思う。

しかし、僕の場合はその馴れ初め自体がちょっと違っていたんだな、と今にして思う。
僕のフィリピンの音楽に出会う前のフィリピンについての知識といえば、学生の頃にアパートの部屋のテレビで見たエドサ革命の動乱、刑事ドラマなどで事件を起こした犯人の逃亡先となる、いわゆる「マニラに高跳び」というセリフ。飲み屋街を歩くフィリピンパブ嬢。どちらかといえばネガティブなイメージが強かった。
南の島、太陽が燦々とふり注ぐビーチリゾートというイメージはあんまり持っていなかったと思う。
そんな僕がなんでフィリピンを訪れたか、というと、この話は長くなるので、機会があれば別の文章にしたいと思っているのだけれど、とにかく、ある遊びをしに行くために、と、とりあえずはしておこう。
それは、フィリピンだけではなく、世界中でできる遊びで、フィリピンという国には全く関係なく、僕がその遊びをするためにフィリピンを選んだのも、たまたま飛行機代がそこそこ安く(今みたいにLCCはないので、今と比べたら結構な金額だけれど)、宿泊も安く済ませられそうというのが理由だった。
僕はその遊びに夢中だったので、一応「地球の歩き方」を買ったものの、もっぱら地図代わりの使い方で、本の内容の大半を占める観光スポットや文化の項目は暇つぶし程度にふんふん。。。と読み飛ばす程度だった。
こんな風に、ホテルと遊び場の往復にほとんどの時間を費やしていた僕は、フィリピンに行く前はもちろん、フィリピンに実際に足を運んでからも、全くと言っていいほどフィリピンという国に興味がなかったと言っても過言ではなかった。
フィリピンらしいなにかを見てやろうとか、フィリピンの食べ物を試そうとか、全くなかった。
泊まっていたホテルは星が二つくらいついている、あまり高級ではないところで、フィリピン人旅行客も大勢いたが、カフェで摂れるモーニングバイキングにはコンチネンタルブレックファストのようなメニューもあるので、欧米に行く感覚と変わらない。しかも英語がフツーに通じる。
フィリピン向けの心づもりをする必要がなかったわけだ。

その後立て続けに4、5回フィリピンを訪れているけれど、目的がはっきりしている僕は、その間、約半年はフィリピンに足を踏み入れていながらフィリピンには触れていないも同然の時間を過ごしていた。

ホテルのカフェで流れるFMラジオが転機だった。

相変わらず「目の前に広がるフィリピン」に関心がない僕は、ホテルやレストランでの食事もお馴染みの洋風なものや、写真やブッフェテーブルに並ぶ実物を見て、食べられそうだな、と思うものを選んで摂る日々だった。
まあなんとか小洒落た雰囲気を装っているホテルのカフェスペースでは、これまたお定まりのFMか何かのBGMが流れていた。
いわゆる洋楽ステーション。新旧のヒット曲がDJのおしゃべりを挟みながらオンエアされていく。
子供の頃からほとんど毎日音楽ばかり聴いていた僕は、ほとんどの楽曲はわかる。時々現地の言葉の曲が混ざるが、大体は洋楽ヒットから選曲されている。
ああ、やっぱりこういう雰囲気のところではどこの国でも同じようなBGMが人気なんだな、くらいに思っていた。

それはそれでホッとしたような気分になった僕も、流石に何回も同じところに渡航すると、慣れ、ができてくる。心の余裕というのかな。
僕の遊びというのは、結構緊張を強いられるもので、頭を常時フル回転させるものだった。ホテルに帰ってもテンションが若干上がり気味だったのだろう、カフェで聴ける音楽も、それほど集中するわけでなく聴き流していたのだけれど、段々と音楽にも気持ちをフォーカスできるようになってきた。

FMから流れる楽曲は、気がついてみると、楽曲自体は以前からよく知っているものなのに、バージョン違いなものが多いことに気がついた。
男性がオリジナルなのに、流れているのは女性シンガーのものだったり、
グループものなのに、ソロで歌われていたり、
バラードなのにアップテンポだったり、
などなどなど。

学生の頃からアルバイト料、給料のほとんどをレコードやCDに注ぎ込んでいた僕は、カバーバージョンもそれなりに網羅しているつもりだったのに、ここで聴かされるのは全て知らないバージョンばかり。
最近CDを買う量を減らしていた僕は、新しいアーティストが出てきたのかな?それとも、流行や流通の違いで日本ではほとんど注目されなかったか、気づくことができなかったバージョンがフィリピンではもてはやされているのかな?
と思うようになった。
長年音楽を聴き続けた耳を持って聴いてみても、どの曲もクオリティ的世界のヒット曲を流すFMの選曲になんら劣るものではなかったので、ああ、ちょっとCDを買わない間に、米国では才能のある新しいアーティストがデビューしたんだな、と。。。
僕の中で眠りかけていた「マニア心」「コレクター心」に若干火が灯ったようだった。いわゆる、知らないということはコレクターの沽券に関わる、というやつだ。

フィリピンは経済発展途上国。それくらいはいくら関心がなくてもわかる。
なにもかもが日本より安い。
多分現地のCDショップでも洋楽CDが安く買えるに違いない。

以来、ホテルのカフェで朝食を摂りながら、BGMに聴き耳を立て、これ!と思う曲(バージョン違い)をメモを取るようになった。
そして僕はホテルの正面にあった大きなショッピングモールにあるCDショップにメモを片手に行った。

冷房が壊れているのか?と思うくらい寒い店内に入ると、数人の若い女性店員が出迎える。
CDショップの店内のレイアウトはどこも同じようなもの。壁面に新譜やらオススメCDのジャケット、アイドルのポスターなどが並び、CD棚はRock、Pops、R&B、OPMなどなどジャンル分けされている。
OPMはなんぞや?と思ったけれど、ジャケ写をみて、ああこれがフィリピンの国内ポップスなんだな。とすぐにわかった。
そこには関心がなかった僕はとにかくR&Bコーナーへ。けれどもホテルで聞けた曲のアーティスト名すら知らない僕は、店員の女の子に訊いてみた。
メモを指差しながら、この曲で違うアーティストのバージョンが入っているCDを探してるんだけど。。。
彼女はOPMコーナーを探し出す。
(あー、違うんだよなぁ)と思っていると、見つけて持ってきてくれた。
僕はそのCDを一応手に取り、
ありがとう。でもね、僕が探しているのは海外アーティストの作品なんだよ、多分アフリカンアメリカンだね。新曲かどうかはわからないんだけど。
そういうと、件の店員は、
最近ラジオで聴いたんでしょう?だったらこれに違いないわよ!
と譲らない。
やれやれ、と思ったけれど、
そう、そんなに言うんだったら、試聴させてよ。
というと、日本だとCDプレイヤーにヘッドセットで聴かせてくれるような場面だけれど、
店内のBGMをその曲に差し替えてくれた。

すると、まさにさっきホテルのカフェで聴いたのと同じ曲が流れてきた!
ああ、これはフィリピン人のカバーだったんだ!
結構驚いた僕は、他の曲も尋ねてみた。
やはり持ってくるのはフィリピンのアーティストによるカバーバージョンばかり。

僕的には、日本で活躍しているマリーンもいいシンガーだけど、その上を行くようなシンガーがこれほどフィリピンに多くいたとは思いもよらなかった。
しかも、僕は長年米国のソウル/R&Bを主に聴いてきたのでいわゆる超絶に歌の上手いシンガーに耳慣れしていた。その耳で聴いた上でホテルのBGMはいいな、と思ったわけだ。
僕にとって、ホテルのFMで聴いた歌声は「拙いアジア人のカバー」ではなく、米国で世界のリスナーを魅了しているシンガーのそれだったのだ。

それがCDショップの店員によってあっさり覆された。

今にして思えば、興味が無かったが故に

ポップ音楽を長い間、それなりに真剣に聴き続けてきた僕は、ある程度、何がいいのか、そうでないのか、がわかるつもりでいる。
けれども、どこまでもフラットな耳で音楽に当たれるか?ということになれば、やっぱり自信がない部分はある。
それは、音楽に対する予備知識だ。
どこそこ出身の歌手だとか、どのグループにいた歌手だとか、どんな音楽に影響された歌手なのか。。。
情報が多ければ多いほど、どうしても、いくら冷静に出てくる音だけを聴こうとしても、やはり何らかのバイアスはかかる(意識しなくとも、かかっているだろう)。
信頼している音楽仲間のオススメというだけでも、若干肯定的に聴こうとしてしまう部分だってあるんじゃないか?

だから、僕がフィリピンに全く興味を持たずにフィリピンのアーティストの歌を聴けたというのはラッキーなことだったのかも知れない。
もし、さあフィリピンのことを知るぞ!とか、フィリピンの音楽ってどんな感じなのだろう?というスタンスで持ってフィリピンのアーティストを聴いたなら、
いいところを見つけてやろう、とか、逆に世界のアーティストと比べて足りないところを探してやろう、とか、
余計なことを考えてしまったと思う。
フィリピンのことを好きになってしまうと殊更だ。
そうすると、若干劣っている部分があるのに、フィリピンを応援したいから高評価しておこうとか、なってしまいそうだ。

今でもフィリピンの音楽をある程度フラットに批評する耳で聴けるのは、この馴れ初めの体験が大きかったのかも知れないな、と今にしては思う。

そしてその僕のわがままな耳に十分耐えうる、というか、それどころか、僕を驚かせてやまない凄腕のミュージシャンがフィリピンには至る所にいるということが驚きだ。

オンラインショップを立ち上げるまで

次の記事ではフィリピンの音楽を紹介するオンラインショップを立ち上げるまでの経緯を書いてみようと思う。。。


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