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文化比較を通じて「知る」に至る|中村隆文

中村隆文
国際日本学部教授・現代英米哲学思想

よく「自分が何者であるのかを見つけるのが大事だ」とか「自分を見つめなおす必要がある」という台詞を耳にするが、そのためには、自身の内面だけでなく、自分の外部にも目を向ける必要がある。
たとえば、「自分はまじめな学生だ!」と意識していても、友人たちの授業出席率が95%であるということを知ったのちに、70%程度の出席率でしかない自分と比較してみると、最初の自己認識が不十分なことを反省することにもなるだろう。

そう。「自分を知る」というためには、「学生」「若年層」「日本人」etc……といったカテゴリーのなかで自身がどのような立ち位置にいるのかを明らかにすることが必要であり、そのためには、「他者」「世界」にも目を向けなければならない。そして、自身が何者であるのかを深く知るためには、自身の信念・価値観を包摂するところの「文化」というものも理解するべきであるが、さきほどのケースと同様、それが他の文化とどこが同じでどこが違うのかまでをきちんと対比してはじめてそれが可能といえる。つまりは、「分析」と「比較」こそが十全な自己理解には不可欠であって、そしてそれらは、大学で学ぶ学問的方法論が提供してくれるものなのである。

さて、私は長崎県の出身である。これまで長崎県で生まれて育ったことを誇りとしているし、同じ長崎県出身者にはシンパシーを感じることもある「長崎っていいところですよね」と言われると、私が褒められているわけではないのに照れてしまう。このように、私の精神構造は長崎に大きく影響を受けたものである。しかし、私がそのような「長崎文化」をはっきり意識しはじめたのは、長崎の外にでて、長崎以外の場所を知り、どこが似ていてどこが違うのかを区別してからであった。

長崎とは江戸時代に「出島」がつくられた場所でもある。当初はポルトガル人をそこで監視するための出島であったが、のちにオランダ商館が建てられた。長崎はオランダ商人を介して、中国、インドネシアなどと交易をおこなう国際貿易の拠点となり、そこからさまざまなものが日本に紹介された。
また、長崎には黒船来航・開国以前にも唐人屋敷や新地に華人が住み着いており、それが集まって現在の長崎新地中華街ができあがった。
他方、私が現在暮らしている横浜といえば、江戸時代末期までは寂びれた村落であったのだが、日米修好通商条約をきっかけに開発・開港された。政治的中心である東京に近いこともあり、あっという間に発展・拡張し、明治以降は海外貿易の一大拠点となった。横浜は日本最大規模の豪華な中華街を誇り、今や押しも押されぬ国際交流都市である。

長崎の方は明治以降は炭鉱業や造船業が盛んとなり、そしてもともとは漁業が盛んでもあったため、一次・二次産業に従事する労働者たちが集まる町として栄えた。長崎市内の「お盆」は中国の旧正月(春節)のように爆竹を激しく鳴らすものであり、中国文化の影響が色濃く残っている。しかし、江戸時代前後にイエズス会の影響を受けた地元民と領主がキリスト教徒になったり、その関連の教会群などがいまなお現存するような、まさに「ちゃんぽん」な文化的様相を呈している。
一方横浜は、西洋的な近代化にあたって、多国籍な企業が取引のために荷物を入れ、そこに商人、投資家たちなどが集まり、経済・金融面での発展が著
しい国際貿易都市となった。また、日本でいち早く鉄道も開設されて東京との距離も近くなり(横浜―新橋間)、文明開化の地としても栄えた。しかし横浜から少し足を延ばすと、鎌倉時代の武家文化の名残や、江の島のような日本古来の土着的な神道・仏教文化をみることもできる。

このように、「同じ港町」「同じ国際交流都市」「同じように中華街がある」という共通点がありながらも、地理的状況、政治的背景、歴史的経緯、は大きく異なっており、そのアイデンティティは大きく異なるものである。私が誇りとする「長崎」は、そこで暮らしてきた人たちが積み重ね、バトンを繫いできた「暮らしの歴史」そのものなのである。そしてそれは横浜にも、そして他の諸地域、別の国々にもある。

私が思うに、自身(たち)と異なる考え方やその文化的態度をみて、すぐさま「あれはダメだ」とか「あんなのは文化的に大したものではないよ」といった浅薄な批判というものは、無知ゆえの先入観や偏見に基づくものである。それはその人にとっての世界の見え方を狭く歪めているだけでなく、世界には素晴らしいものや人々が存在するにも関わらずそれに触れるような機会をそうした偏見が奪ってしまっていることが多い。歴史や文化、思想を学ぶということは、この世界の素晴らしさに気づくこと、他者への敬意に目覚め、自分に自信をもち、人生を楽しむことにもつながる。

「世界をより良く変えてやるんだ!」という大義名分は立派ではあるが、しかしそのこととは別に、そもそも今そこに現にある世界の良さや真価をきちんと理解し、この世界を愛することも大事ではないだろうか。
大学において人文学や外国文化についてあれこれ学ぶ意義というのはまさにここにある。そしてそれは学生だけでなく、我々教員も同じなのである。

中村隆文
国際日本学部教授・現代英米哲学思想

『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために各学部の先生方に執筆して頂いています。

この文章は2020年度版『学問への誘い—大学で何を学ぶか―』の冊子にて掲載したものをNOTE版にて再掲載したものです。