学問することはモノの収集からはじまった|角南聡一郎
津山という土地
私は岡山県の北部、津山市という人口約10万の盆地で生まれ育ちました。津山市付近は勝田層群(第三期中新世)が広がり、化石の産地としてマニアの間では知られた土地です。また、津山盆地には旧石器時代から江戸時代までの遺跡が各所にあり、考古資料との距離は近く感じられました。こうした環境は私のその後の人生に大きな影響を与えました。
化石採集への情熱
昭和37(1962)年、市内松原の吉井川河原で、中学生がクジラの化石を発見しました。その後の調査で、約二千万年前のほぼ完全なヒゲクジラの化石が発掘されました。化石は現在、市内のつやま自然のふしぎ館に保管、展示されています。また、昭和57(1982)年に市内上田邑で中学3年生がパレオパラドキシア(哺乳類束柱目、約1500万年前)の化石を発見しました。これは地元ではたいへんなニュースとなりました。現在は骨格復元模型を津山郷土博物館の常設展示でみることができます(津山郷土博物館編1989「津山産パレオパラドキシア化石産出調査報告」『津山郷土博物館紀要』pp.1-48)。当時私は中学校一年生で、パレオパラドキシアの発見者である先輩らにくっついて化石採集をしていました。化石は小学生のころから集めており、学校が休みの日にはあちこちで化石採集をし、標本は貝やカニが中心ですが結構たくさん持っていました。
土器・石器を拾い集める
津山市内および周辺には、沼遺跡(弥生時代)、佐良山古墳群(古墳時代後期)、美作国府跡(奈良―平安時代)などさまざまな時代の遺跡がありました。私は小学生時分から遺跡地図を頼りに、地域の遺跡を歩いて落ちている土器や石器を集めていました。これは厳密にいえば昔の人の落とし物で、警察に遺失物として届けなければなりません。子どもだった私は、これらを自宅に持ち帰り所持していました。学校の宿題そっちのけで、採集した土器や石器を考古学関係の書籍で調べ、自分なりに分類をしたり時代判定をしたりしました。後にこれらは地元の教育委員会や岡山大学考古学研究室に寄贈しました(子どものころの話ですので広い心でお読みいただければ幸いです)。これは今から40年も前のことですが、大学で考古学を専攻するきっかけの一つには、こうした表採(表面採集)で土器や石器、瓦を集めるということがありました。いわゆる「拾う考古学」です。現在はさまざまな規制から、子どもたちがこうした「きっかけ」を得ることができなくなったことは寂しい限りです。
大学生になって学んだこと
子どものころの趣味が高じて私は考古学を志し、奈良県にある私立大学の文化財学科に入学をしました。大学に入るとまず教養科目を履修し、学ぶことになります。私もいろいろな教養科目を選択し授業を受けました。しかし当時の思いは、早く専門的な授業が受けたいのに、なぜ関係ない授業を受講しなくてはならないのだろうか、というものでした。私の場合、後から振り返ってみると、「関係ない」ことはなかったのでした。
以下、思い出すままに書いてみます。私は地学の授業をとりました。担当の非常勤で来られていた先生に、子どものころに化石収集をしていたことを話すと、「それは面白い。自分のコレクションについて授業で話してみないか」と誘っていただきました。先生のはからいで、私は地学の授業の一環として、自分が集めた化石の話をさせていただきました。自分の趣味を評価していただくとことはとても嬉しく、自信を持てたことを覚えています。
また、社会学も受講しました。非常勤で出講されていた先生の授業はとても面白く、私をはじめとして周辺の学生もファンになりはまっていました。いつしか授業の後は喫茶店に陣取り、先生を中心にサロンが開催されることが恒例となりました。こうした中で先生にある本(坂本賢三1982『「分ける」こと「わかる」こと』講談社)をお教えいただきました。この本には、科学哲学の立場から「わかるために分ける」ということがわかりやすく述べられていて、自分がこれまで趣味としてやってきた、集めた化石や土器を分類することの意味にはじめて気づかされました。
また、考古学の専門授業を受ける中でも、はっとさせられたことが少なからずありました。一例をあげると、『雲根志』を記した江戸時代の本草学者木内石亭(きのうちせきてい。1725~1808)のことです。彼は幼いころから石に興味を持ち、全国各地の珍石・奇石を集めて回り、「石の長者」と呼ばれた人物です。この中には勾玉や石鏃といった考古資料も含まれており、近代的考古学のご先祖様の一人に数えられています。(これは後に知ったことなのですが)本草学とは動物、植物、鉱物といった自然にあるモノを集め分類することからはじまる学問です。石亭は石を集めるという趣味を、学問のルールに則って実践したということになるでしょうか。
私からのおススメ
私は現在、民俗学の中でも有形の資料である民具を調査研究(考古学と同じく資料の収集と分類が基本です)関連科目や、博物館学という収集された博物館資料に関する授業を担当しています。振り返ってみると、子どものころの経験や趣味がベースとなり、大学で考古学を学びたいという志望につながったのです。自分の興味関心が考古学から民俗学へと変化する中で、悩んだり焦ったりした際に思い出されたのは、不思議と大学に入学したてのころの、教養科目で学んだことでした。それだけインパクトがあったのだと、あれから30年以上たって気づきました。新入生のみなさんも、これまでの自分の経験を振り返ってみること、大学での人や知識との出会いを大切にすることをおススメします。
『学問への誘い』は神奈川大学に入学された新入生に向けて、大学と学問の魅力を伝えるために各学部の先生方に執筆して頂いています。
この文章は2021年度版『学問への誘い—大学で何を学ぶか―』の冊子にて掲載したものをNOTE版にて再掲載したものです。