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学問への誘い

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『学問への誘い』は神奈川大学の教員が大学と学問の魅力を伝えるために執筆したエッセイです。自身の経験など踏まえ個性豊かな作品が多数収録されています。 1986年創刊、2020年か…
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#学問への誘い

学びを深めるための情報との付き合い方

大学での学びということについて考えてみると、自分が大学に入った頃と比べて大きく変わった点がいくつかある。学びにおける統計データ※の入手のし易さは、その一つだと思われる。今では信じられないかもしれないが、20年程度前は、容量が1.4メガバイトしかないフロッピーディスクが(流石に姿を消しつつあったが)まだ普通に利用されており、数十メガ程度のデータを扱うことですら苦労した。インターネットを通じた統計データの提供は始まりつつあったものの、十分に整備されておらず、紙の統計書を見なければ

エピローグ

長かった文章もこれで終わりです。旅行の必携の書というよりは、私の思い出話に終始してしまった感があり、最後まで読んでいただけたことに感謝を述べたいです。私が海外に住んだのは2005年から2010年春までの5年間で、その後、新型コロナウイルスの流行になる前には少なくとも年に1度は海外に出かけていました。しかし、その後、3年間に渡って海外に行けておりません。時間はかなりすぎており、世の中が大きく変わっていることで私の経験談がどこまで役に立つかもちょっと不安なところがあります。コロナ

第五章 お金・仕事

401K401Kは通称フォーティーワンケーと呼びます。これを知っている人はかなりのアメリカ通ですね。その人は財テクに興味があるか、アメリカで働いたことがあるかのどちらかだと思います。401Kは日本でいう年金積立制度です。国民年金のような形でなく、個人が老後のために積み立てる年金です。この年金を積み立てれば、その分は税金の免除になります。私は、San Diegoの会社で働いたとき(2008-2009年)にはじめてこの存在を知りました。コーネル大学で働いていた時は、大学が年金とし

第四章 交通・安全

旅先で出会った悪い人・良い人?2019年秋、コーネル大学研究室時代の仲間が、トルコで教授になって国際会議を開くということで、初めてトルコのイスタンブールを訪問しました。ドーハを経由してイスタンブール・サビハ空港に到着しました。空港はイスタンブール近郊でアジア側に位置し、イスタンブール市内までバスでの移動でした。アジアとヨーロッパの境界であるボスポラス海峡に架かる橋を渡った時には、この旅の一つの目的を達成でき感無量でした。夕方ホテル近くのトルコ風ファーストフード店でトルコ料理を

第三章 住宅・保険・食事

アメリカの住宅事情留学など一時的な滞在をするときに滞在場所としてアパートを借りなければならないことが出てきます。アメリカでは、アパートの賃貸は基本的に1年契約です。この契約に私は常に悩まされてきました。1年ごとに借りなければいけないということは、年単位での引っ越ししかできないということになります。そのため、短期留学をする人が住むアパートを見つけるのは基本的に無理です。そこで登場するのが Sublet(サブレット:又貸し)です。よくあるパターンを紹介します。アメリカの大学は9月

第二章 英語でのトラブル

何度言っても伝わらなかった英語の発音。私が英語を使って伝わらなかった英語は多分、無数にあると思います。その中で自分がこれは何度やってもダメだなと思う単語をエピソードと共に紹介します。 まず一つ目は、アイスクリームの”バニラ”です。私は超甘党なので、アメリカで気に入っているところは、アイスクリームがおいしいというところです(ケーキは砂糖の塊にしか思えないので、超甘党の私でもNG)。そのため、おいしそうなアイスがあるとよく買っていました。アメリカの食事は、レストランでもどこでも

第一章 入国・出国・ビザ・パスポート

ビザ取得 最初の難関です。海外に長期滞在するときには、ビザが必要です。ビザなしでどれだけ滞在できるか、訪問の目的によってはビザが必要など、ビザについての知識は海外に行く人にとっては重要です。私はアメリカなどに長期滞在したことがあるので、ビザの取得は4回行っています。研究員としてアメリカの大学で働いたときは、ビザのタイプとしては交流訪問者のJ-1ビザでした。大学で勉強するために来ている周りの日本人の学生はF-1でした。J-2などのように2が付くのは、J-1ビザを取得した人の家族

世界へ羽ばたけ

プロローグ私は1968年生まれ。小中学生の時には野球に熱中し、外国人に初めて会 ったのは高校生になった時、海外はまさにテレビの中の世界で、日本テレビで毎年行われていたアメリカ横断ウルトラクイズを見て、アメリカは広いんだなということを感じていました。メジャーリーグベースボールのオールスターチームが日本に来て試合をするのを見て、すごいパワーだなと驚いていた世代です。時は過ぎ大学生になると、今考えると何となく海外に出かけることが頭に出てきた時期で、読書と映画が趣味で、読んだ本は『深

良い子は真似しないでね

今から書くことは、良い子は決して真似してはいけません。もし万が一真似しても、私は責任をとれませんからね。 貧乏ではないけど裕福でもない母子家庭に育った私は、「良い大学に入って良い仕事に就いて安定した生活をする」という模範的な目標を胸に中高六年間を真面目に過ごしました。高校では吹奏楽部に没頭した時期もありましたが、勉強はずっと真面目にやっていました。大学受験では滑り止めなしで第一志望に現役合格。ここまでは文句なしで「良い子」でした。 ところが、大学に入ってから……はじけちゃい

自分に変化を与えてくれる学問

私は人前で話すことが苦手な高校生でした。何かの宣伝のために話をする仕事は難しそうだけれども、ものをつくることで自分の考えを伝える仕事ならできるかもしれない、という思いはありました。漠然としたイメージで、文系より理系のほうが、ものをつくりやすいのでは、という気軽な気持ちで進路を判断しました。現在の私の専門である建築の設計やデザインについては、当時は何もわかっていませんでした。進学時に目標を持てていなかった私にとって、大学で建築を学ぶことはどんなことだったのか、自身の中で生まれた

ホビロンを追いかけて

 ベトナムには、ホビロン(hột vịt lộn)という食べ物がある。道路沿いの屋台やスタンドで売っていて、一見すると、ただのニワトリの卵であるが、実は、ニワトリではなくアヒルの卵である。また、生ではなく茹でてある。そして、中にはヒナが入っている。  今から約15年前、私がベトナムを訪れた目的のひとつは、現地の料理をあれこれ食べてみることだったが、ホビロンは、私の<食べたいものリスト>のトップに君臨していた(2位は雷魚。3位はヤギ)。ところが、探しているものはなかなか見つか

歴史の地、イランから

 みなさんは、中東というとどのようなイメージを持つだろうか。戦争や難民などのニュースが届く一方で、産油国やオイルマネーを原資とするドバイなどの都市の繁栄ぶりはよく知られているとおりである。ところが、このような多様な顔を持つ中東地域でもよく知られていない国としてイランが挙げられる。欧米中心のメディア報道によってとかく否定的なイメージが浸透しているイランではあるが、かつてはペルシャと呼ばれ、長い歴史と豊かな文化をもち、日本でも高級品として名高いペルシャ絨毯が生産されている国でもあ

大学入学から数学者になるまで、その一例

学生さんたちと話をしていると「いつ頃から大学の先生になろうと思ったのですか?」「どうやったら数学者になれるのですか?」といった類の質問がくることが割とよくあります。せっかくの機会ですので、私の場合はどうだったのかということを振り返ってみたいと思います。 単純に数学が好きだったので、数学のことをより深く学びたいということで九州大学の数学科に進学しました。その時点で数学者になるという夢をぼんやりと描いていたので、進みたい方向性がある程度定まっていたという点では珍しい学生だったと

第二の故郷となったモダン都市ヨコハマ

 私は、東北人。秋田の大館市という人口5万人ほどの小さな田舎町の出身だ。秋田犬の里で、渋谷のハチ公の出身地といった方がわかりやすいかもしれない。高校時代は数学と物理が好きだったが、文系の暗記物は苦手だった。必然的に大学受験では、理数系の科目を生かせる工学部をめざした。学科までは決め切れずにいたが、大手ゼネコンで活躍していた親戚がおり、建築家もいいなと受験間際に建築学科をめざした。当時は建築家になるなら工学部が常識で、現在のように、医者になるなら医学部へ、建築家になるなら建築学