見出し画像

第五章 お金・仕事

◀第四章 交通・安全    エピローグ▶

401K

401Kは通称フォーティーワンケーと呼びます。これを知っている人はかなりのアメリカ通ですね。その人は財テクに興味があるか、アメリカで働いたことがあるかのどちらかだと思います。401Kは日本でいう年金積立制度です。国民年金のような形でなく、個人が老後のために積み立てる年金です。この年金を積み立てれば、その分は税金の免除になります。私は、San Diegoの会社で働いたとき(2008-2009年)にはじめてこの存在を知りました。コーネル大学で働いていた時は、大学が年金として一部を私のために積み立ててくれていましたが、期間が短いので大きな金額にはなりません。401Kは65歳まで積み立てて、その後、年金のような形で使うことになります。最近、日本でも同様の個人型年金制度iDeCoが始まりましたが、私は401Kのことがあるので躊躇なく、iDeCoに積み立てを始めました。iDeCoの場合には、あまり大きな金額を積み立てられないようになっているので、日本の場合には安心です(個人的見解です)。

この積み立ては良い話ばかりでなく、積み立てられた年金は様々な投資などに運用されます。その有用利益が出ていれば老後はバラ色の人生。もし、投資が失敗したらかなりの損をします。まさに、人生のハイアンドローです。私は、サンディエゴでこのシステムを経理担当者から説明されたときに、やることを直ぐに決めましたが(会社内で一定額積み立てがないと 401K の制度に会社で参加できないと説得されたためです)、どこに投資すれば良いのかについて相当悩みました。経理担当者にアドバイスを求めましたが、経理担当者は一切ノーコメントを貫きました。変にアドバイスして、後で「君のアドバイスのせいで損をした」などを言われても困るのでだんまりを決め込んだのでしょう。正しい対応です。この辺がまさにアメリカです。私は悩んだ挙句、何の選択理由もなく、いくつかの投資を選んで登録してしまいました。
 
その後というと、すぐにあのリーマンショックが起こりました。始めたばかりでしたが私の積立金は急激に半分以下になってしまいました。その後、会社を辞めた後も、辞めた会社に401Kの契約を残してきたので1年に1回ほど、お金がどうなっているか辞めた会社の経理担当者から手紙が届きます。手紙が届くことで会社はまだ存続しているんだということを考え、お金もまだあることを確認してほっとしています。現在はコロナ禍の真っただ中、今度の401Kの手紙はいつ届いて、いくらになっているか非常に心配です。ゼロにならなければ、そこからまた増えることも可能なので「頼む、ゼロではないように!」と祈る日々です。
 
余談になりますが、65歳を過ぎたらこの年金を受給する手続きをアメリカで行わなければなりません。正直、今から気が重いです。私はある程度の英語がわかりますが、それは理系英語で、ある程度限られた単語の英語です。受給手続きのためにはいろいろな法律用語を含む書類を読まなければなりません。保険、雇用契約、税金などいろいろやりましたが、正直、かなりの日数と時間を要しました。インターネットにいろいろな情報があるので、“アメリカの401Kを日本で受給する”で検索すると私のような方用の説明があり、これを読むとちょっと安心します。皆さんも海外での手続きが分からない場合には、いろいろな経験を持つ日本人が情報を載せてくれているので、それらを参考にしてはいかがでしょうか。ただし、間違った情報、詐欺的な情報もあるので、情報をむやみに信じることはやめましょう。あくまで複数の情報源から情報を集めて判断することが必要です。


貯金が消えた!

コーネル大学でもらった給料をコツコツとため、数百万円貯金しておきました。コーネルを離れるときに忙しかったため、その貯金をそのままにしてサンディエゴに移動し、その後、日本に帰国して神奈川大学で働きだしました。神奈川大学在職中の2016年夏に久しぶりにコーネル大学に滞在したので、そのお金を引き出して滞在費にしようと考えていました。アメリカの銀行は日本と違って通帳というものがなく、小切手とATMカードあるいはクレジット付カードのみです。貯金していた銀行が当時はHSBC Bankでしたが、HSBCがイサカから撤退したため、私の口座がローカルのFirst Naiagara Bankに移っていました。この移動については連絡があったので、私は認識していました。滞在1日目の朝に運良く滞在したホテルの近くにその銀行の店舗があったので、HSBC Bankに以前の口座があって、これがクレジットカードである、お金を引き出したいということを伝えました。ここからが修羅場の始まりです。窓口係の女性は、アメリカらしく横柄に口座がないことを私に伝えてきました。私が食い下がっていると、店長らしき女性がでてきて店長ブースに私を通し、「いろいろ調べましたがありません。」と言われてしまい、事情をいろいろ説明して30分程粘りましたが、どうにもならず、銀行から撤退。大学に行く予定でしたが、あまりにショックだったので、ホテルで悩みぬいてもう一度、午後に銀行の店長に会いに行きました。銀行に行くと店長からUnclaimed Foundではないかと言われました。私の頭の中は???です。詳しく聞いてみると長く口座を使わないと口座が凍結され、ニューヨーク州に管理されてしまうということでした。HSBC Bankにある時点で凍結口座になってしまったのではないかといわれました。この書類に記入してニューヨーク州に提出してみたらどうかと言われました。ここまで来たらやるしかないと書類の中身を見ましたが、全くわかりません。そこで、もう一度、銀行に行って、書類の書き方を教えてくれるようにお願いし、一緒に書類を作ってもらい、手助けのお礼を十分に言った後、すぐに30分歩いて郵便局に書類を郵送しに行きました。この日はこの一連のトラブルで大学には行けずに、受け入れ先のアブルナ教授には夜に「トラブルがあったので今日は大学にあいさつに行けなかった。明日の午前中には伺う。」と連絡して寝ました。すぐに眠れたのかどうかは記憶にありませんが、ものすごい心に負担があった一日でした。
 
書類がニューヨーク州の担当部署に届いているかが心配になったので、コーネル大学を離れる1週間前ぐらいに、以前の滞在の時からお世話になったコーネル大学の産学連携のコーディネーターの知人Paulに事情を話して、ニューヨーク州の担当部署に電話をかけてもらい、書類が受け取られて処理が進んでいることを確認してもらいました。また、何かあった場合には、Paulに連絡がいって対応してくれるようにすることもニューヨーク州の担当部署にFaxで送信してもらいました。
 
相変わらず私の英語はつたないものでありましたが、大金がかかっているので英語ができない恥ずかしさは全く忘れ、ただただ英語が通じないことにいら立ちを感じながら、いろいろな人の手助けを受けてどうにか手続きを進めました。最終的に日本の私の自宅に数100万円の小切手が届きました。この小切手は次回のアメリカ滞在において別の口座に貯金しました。この口座はちょくちょくチェックするようにしているので、凍結口座にはなっておりません。皆さんも口座の管理はちょくちょくしましょう。アメリカではテロ等の問題もあるので、口座は政府や州でかなり厳しくチェックが入っているようです。皆さんも、もしアメリカで少しでも生活したことがあるのなら、一度アメリカ政府と滞在した州のUnclaimed FoundあるいはUnclaimed Moneyのサイトで自分の名前を検索してみてはいかがでしょう。何かのお金が凍結されているかもしれません。


同僚が消えた!

2009年ごろ、私がサンディエゴの会社に勤めているころ、朝会社に行くと、人は働いているがどうもいつもの活気はなく、重苦しい雰囲気が漂っていました。それほど従業員数は多くないので、数名の人がいないことに気づきました。仲の良い同僚と雰囲気が重いねという話をすると、来ていない数名が突然解雇になったということを言い出しました。アメリカの場合、雇用契約に突然解雇しても良いというような項目がついているらしいので(正直、私も雇用契約にサインはしたが、そのようなことが書いてあるかを確認していなかった)、このようなことは日常茶飯事ということです。解雇された人と親しい人が今日の朝早く電話で話しをしたところによると、昨晩遅く、会社の上層部から電話がかかってきて、朝7時に会社に来てくれということで呼び出されたということ。朝行くと、即座に退職を言い渡され、社員が出勤してくる前に会社を出るように言われたということです。解雇になった人の机を見ると、昨日まで働いていた痕跡と今日も働くつもりでいた感じが残されており、急であったことがわかるものでした。日本でしたら、自分の身辺をきちんと片付けて、お世話になりましたということで退社しますが、まさにアメリカ、解雇を言い渡された時点で自分の机には戻れず、ただ個人のものを会社の人が立ち会ったうえで持ち出します。映画の世界だけであると思っていたことが、私の世界でも起こり、唖然としました。
 
よくよく考えると解雇の前日に会社の出資者(通称エンジェル)たちが会社に来て、会社の上層部の人から研究開発の進捗状況の説明を聞いていました。その中で進捗が思わしくなかったので、人件費削減を言い渡されたのでしょう。会社の上層部は苦渋の決断だったのでしょう。しかし、解雇された人の中には働き始めて2か月の人もいたので上層部の行き当たりばったりのマネージメントには疑問が残る結果となりました。私は英語が得意でないので、社員がどんな感情を持っているのか、完全にはわかりませんでしたが、この辺から、会社の中で退職する人がぽつりぽつりと出てくるようになりました。私もその中の一人ですが、非常にタフさを要するアメリカの雇用形態です。ちなみに多くの同僚がこの会社で働く前に別のところで働いた経験があり、日本人の雇用に対する考えと違い別の会社でまた働くさという考えと、労働者の流動があるからこそ、やっていけるのではないかと思います。
 
このようなシビアな労働環境ですが、いただける給料は非常に良いものとなっています。アメリカの場合、日本のボーナスに当たる賞与はありませんが、月給が非常に高いです。10年経過した私の日本での給料とあまり変わらない額を当時はもらっていました。また、1度だけ研究開発が完了したのでボーナスがでたことを記憶しています。給料の契約をするときに会社の株を安く買わないかということを交渉されました。私は会社に長くいるつもりも無かったので、会社の株は買いませんでした。現在もこの会社は存続しているので、株を買って利益を得れば良かったかなと少し後悔しています。会社の中にはマシーンショップと呼ばれる研究開発の機材を作ってくれる部署がありました。その部署のリーダーは朝5時から仕事を始めて、14時に仕事を終えることを会社の了解を得て行っていました。話によると、その人はサーフィンが趣味だそうで、仕事が終わってからサーフィンをしに海に行くということです。サンデイエゴで働くこともサーフィンが目的だそうです。実力がある人が本当に自由に暮らす社会「アメリカ」、と実感しました。

◀第四章 交通・安全    エピローグ▶

松本 太
工学部・電気自動車専用リチウムイオン電池、燃料電池