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思い出の単独行-茅ヶ岳編-

※この記事は以前、別のブログで投稿した記事を加筆訂正したものです。

茅ヶ岳は、奥秩父前衛の標高1,704mの山です。甲府駅から中央本線で松本方面に進むと、韮崎に近づくにつれて右手の車窓に見えてくるのが茅ヶ岳です。近くの八ヶ岳に似ていることから「ニセヤツ」と呼ばれています。『日本百名山』の著者 深田久弥氏が、この山を登山中に倒れて亡くなったことで知られている二百名山です。


茅ヶ岳には、二度登っています。初めて茅ヶ岳に登ったのは確か2016年の12月頃だったと思います。冬は登山口に向かうバスの本数の関係で、東京から公共交通機関を利用しての日帰り登山は難しく、前日に甲府に宿泊しました。


朝、盆地の甲府はよく冷えます。登山当日の朝も甲府は、吐く息が白くなるほどキリっと冷えていました。しかし、天気は快晴。甲府の街からは南アルプスの山々をしっかりと眺めることができました。


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中央本線に乗り、韮崎駅で下車。富士山も朝からきれいでした。韮崎駅から韮崎市民バス穂坂線で柳平へ向かいます。ちなみに、2020年現在、11月23日までは、韮崎駅から茅ヶ岳登山口に向かう山梨峡北交通のバスが運行しているようです。(この時は12月で運行期間外でした・・)


柳平で下車し、そこから登山口まで続く車道を歩きます。歩き始めてすぐに、登山口まで乗せていってあげると通りかかった軽トラのおじさんに声をかけられました。大幅にコースタイムを短縮、感謝です!

茅ヶ岳の麓に住むおじさんは北海道から移住してきたようで、おじさん曰く、このあたりは冬になると北海道よりも気温以上に寒く感じるとのこと。標高が比較的高く、冬の乾燥した気候が関係しているのでしょうか。

登山口前で降ろしてもらい、お礼を述べておじさんとは別れ、いよいよ茅ヶ岳登山スタートです。

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谷のなかの登山道を進んでいきます。朝日が入りこまず、暗く寒い道でした。女岩を過ぎると、尾根に向かって急な登りが続きます。落ち葉が雪のように積もっており、足を滑らせてしまわないように気をつけて登っていくと、見晴らしのよい尾根に着きます。

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少し歩くと、深田久弥先生終焉の地に辿り着きました。百名山いつも楽しませてもらっています!と手を合わせて山頂へ。

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山頂では大展望が待っていました。甲府盆地や八ヶ岳山麓、奥秩父の山々を見渡せ、遠くには富士山や南アルプス、八ヶ岳、金峰山・瑞垣山などを確認することができました。大展望を味わいながら一休み。

昼食を軽めに取ったあと、下山を開始。下山路は南の尾根を選択。あっという間に下ると、深田久弥氏の記念碑がある深田記念公園に着きます。

その記念碑には、

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「百の頂に百の喜びあり」

と故深田久弥氏の言葉が書かれていました。深田久弥氏の書いた『日本百名山』は、山の名著です。『日本百名山』が世に出ていなければ、現代のこれだけの登山ブームは無かったのかなと思います。私はまだ百名山の全てを登れてはいませんが、いつか踏破して、この言葉の意味を実感してみたいです。

初めての茅ヶ岳登山では、深田久弥氏を偲び、百名山踏破の気持ちを高めることができました。山頂からの展望も素晴らしかったです。
思っていたよりも茅ヶ岳が良い山だったため、翌年の秋に茅ヶ岳に再び登りに行きました。

甲府で前泊して韮崎からバスで柳平まで行き、そこから山頂までのルートは前年と同じです。この年は、山頂から下山するのではなく、北の稜線を進み金ヶ岳に向かいました。

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急な登り下りの道を進むと、茅ヶ岳(1,704m)より少し高い金ヶ岳(1764m)に着きます。

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山頂付近からはくっきりと富士山を眺めることができました。

その後、南西の尾根を下ります。左右が切れ落ちていてヒヤリとする箇所が何度かありました。

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無事に下山後、駅までのバスが無かったため、気合で茅ヶ岳南西方面にある中央本線 穴山駅まで歩きました。今、地図で穴山駅までの距離を確認すると、我ながらよく歩いたなと思います・・。今なら歩かずにタクシーを呼んでいるでしょう。若さって偉大。(3年前の話ですけどね笑)


さて、長くなりましたが茅ヶ岳、ニセヤツと呼ばれ、ちょっと不憫な山ですが、実際に登ると不憫さを感じさせない大変良い山でした。特に百名山踏破を目指している方にとっては、一度は訪れておきたい山だと思いました。

今日はここまで。最後まで読んで頂きありがとうございました。

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