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北川民次展ーメキシコから日本へ

 1920年代のメキシコで画家・教育者として出発し、1936年の帰国後は東京や愛知で精力的に活動した北川民次(1894-1989)。
 「メキシコから日本へ」という特異な歩みのなかで彼が見出し、生涯追及したものは何だったのだろうか。
 約30年ぶりの回顧展となる「生誕130年記念 北川民次展ーメキシコから日本へ」が2024年9月21日(土)から11月17日(日)まで世田谷美術館(東京都世田谷区砧公園1-2)で開かれる。
 人々への温かなまなざしや社会批判をはらむ油彩・水彩・版画などの代表作に加え、絵本や美術教育の仕事、また戦後のメキシコ再訪を経て取り組んだ壁画などにも注目し、約180点の作品・資料によって北川の人生と表現を多角的にみつめることの出来る場となろう。


 北川民次は20歳で渡米し、働きながら絵を学んだのち、革命後の壁画運動に沸く1920年代のメキシコで新進画家そして教育者として出発した。1936年の帰国後は東京・池袋を経て愛知・瀬戸に居を定め、晩年まで精力的に作品や著作を発表した。
 1.民衆へのまなざしーメキシコ時代から一貫して北川が見つめ、描いてきたのは、時代や社会情勢に翻弄されながらもたくましく生きる市井の人々の姿だった。

《トラルパム霊園のお祭り》1930年 名古屋市美術館 
《アメリカ婦人とメキシコ女》1935年 (1958年補筆)郡山市立美術館

 2.壁画と社会ー1920年代メキシコの「壁画運動」の熱気のなかを生きた北川は帰国後、壁画のような壮大でメッセージ性のある作品を残した。

《タスコの祭》1937年 静岡県立美術館

 3.幻想と象徴ー北川はどこか幻想的で象徴性をおびた作品も制作した。

《岩山に茂る》1940年 個人蔵

 4.都市と機械文明ー激烈な近代化が進む社会に生きた芸術家のひとりとして、北川は機械化の進む産業の風景などにしばしば目を向けた。

《砂の工場》1959年 愛知県美術館

 5.美術教育と絵本の仕事ーメキシコ時代の北川は、先住民の大人や子どもに表現の機会を与える野外美術学校の教師として活躍した。戦時中は絵本の制作に熱中し、戦後は名古屋の動物園を舞台に美術教育の携わった。

北川民次《絵本『うさぎのみみはなうさぎのみみはなぜながい』原画》1942年頃 真岡市教育委員会

 エピローグ・再びメキシコへー1955年、約20年ぶりのメキシコ再訪を果たした北川は、帰国後、念願の壁画制作に携わった。

北川民次《名古屋旧カゴメビル壁画原画 TOMATO》1962年頃 カゴメ株式会社 
北川民次《瀬戸市図書館とうき陶壁原画 勉学》1970年 瀬戸市美術館

 開館時間は午前10時から午後6時(入場は午後5時半まで)。休館日は毎週月曜日。ただし、9月23日(月・振替休日)、10月14日(月・祝)、11月4日(月・振替休日)は開館。9月24日(火)、10月15日(火)、11月5日(火)は休館。
 観覧料は一般1400円、65歳以上1200円、大高生800円、中小生500円、未就学児は無料。
 問い合わせ先は℡03-3451-6011。世田谷美術館の公式サイトは https://www.setagayaartmuseum.or.jp/

北川民次 1949年 撮影:松谷錦二郎

(画像の無断転載やコピーはご遠慮願います)


 

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