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ジョージのキリスト教観

 厚い信仰心を持っていたことで知られるジョージ・ハリスンは、今日のキリスト教には懐疑的だった。
 カトリック教徒として育てられたジョージだが、ある日教会で「これは違う」と感じ、後にインドでの経験からヒンズー教などに傾倒する。
 ジョージの両親のうち、母親がカトリック教徒だったという。他の子ども同様に、何の疑問も持たずに、カトリック教会に通っていたジョージ。
 だがすでに11歳の頃には、「ちょっと待てよ、本当はこういうのは好きでない」と思っていたという。
 そして12歳になるまでには教会に行かなくなった(アシュレー・カーン編「George Harrison on George Harrison」Chicago Review Press)。


 年月が経ち、ジョージは言った「インドでぼくはキリスト教に立ちもどることが出来た。それまでキリスト教徒たちはキリストのことを全く説明することが出来なかった。具現化する能力がなかったからで、彼らはたんにどうやってキリスト教的意識を持つことが出来るかを話そうとしていただけなのだ。「ポリティカル」だと思わないかい?」。
 誰かを排除するとか、出来ないとか、利用しようとか、教会で話されたり、行われていたことは、すべてその「政治」から生じていた、とジョージは見ていたのだ。

教会(イメージ画像)


 ジョージは宗教にあまりにもスピリチュアリティがないこと憂いて、「マイ・スウィート・ロード」を書いたのだという。
 それはヒンズー教の教師であるスワミの言葉を読んで、「これだ!」と思ったからだったー「もし神がいるのなら、私たちは彼に会わなければならない。もし魂があるのなら、私たちはそれに気づかなければならない。そうでないのなら信じないほうがいい。偽善者であるより、率直な無神論者であるほうがいい」。
 宗教というのは「直覚」(直接の認知)の仕方についてのものでなければならないと思うが、キリスト教はその仕方を教えてくれないとジョージ。さらに、キリストの弟子たちが亡くなった後に、キリストの教えをダイレクトに教える流れがなくなってしまったことが問題だとも話した。
 「規律を教えていくラインが失われてしまった」のだという。
 それに対して、インドでは「クリシュナに直接つながる弟子たちについていくことが出来て、それによってグルに立ちもどることができる」「キリスト教ではキリストの後、規律を教えていくラインが壊れてしまった。だからヴェーダ文化ほど純粋ではないのだ」。
 これらの言葉からしてジョージはヒンズー教徒だったのかといえば、そうではなかった。ジョージが2001年に亡くなった後、妻オリビアは次のように言っていた「彼はいかなる宗教団体にも属していませんでした。罪や神秘を信仰に掲げる宗教団体の教えや教義を受けつけることなく、すべての宗教の神髄を信じました」。
 音楽的成功を収めたジョージだが、彼は音楽というのは神であり、すべてのサウンドと音楽は宇宙の深いところで創られていると考えていた。
 「聖書がいうように「はじめに言葉があった」。オームというのは基本的な音のバイブレーション(霊気)であって、他の音はすべてそこから来ているのだ」。

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