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関東大震災100年目にこの歌を

 今年は関東大震災から100年目。震災後にデマによって朝鮮人らが殺された事件をご存じの方も少なくないだろう。その悲劇をもう一度振り返って今日に考え直してみようという機運が高まりつつある。
 今年9月に封切りされる予定の森達也監督による「福田村事件」を扱った映画がそのひとつ。フォーク歌手の中川五郎さんが作った「パラヌイツャ」と「1923年福田村の虐殺」という歌もある。
 中川五郎さんは知る人ぞ知るベテラン・フォーク歌手だ。関西出身の中川さんは1960年代後半から活動を開始。高石ともやでヒットした「受験生ブルース」の元歌を作ったことでも知られる。
 「ラディカルなフォークムーブメント」を思い描いていたという中川さんの初期作品にはプロテストソングが目立った。ベトナム戦争をテーマにした作品を翻訳した「腰まで泥まみれ」や、広島の原爆や部落問題を自作曲のテーマとした。次第に中川さんは自らのことを歌うようにもなる。
 例えば、連れ添ったパートナーに子どもが出来る時に歌った「25年目のおっぱい」という感動的な作品がある。これまで自分だけのおっぱいだったのにもう一人占めできなくなってしまうことを歌っている。
 70年代から長年にわたり、中川さんは、いわゆる「わいせつ裁判」を闘った。「季刊フォークリポート」という雑誌に書いた小説「二人のラブジュース」がわいせつだとして裁判になったのだ。この裁判について中川さんは「裁判長殿、愛って何?」(昌文社)という本を書いた。
 結局、中川さんは5万円の罰金で有罪となる。70年代後半から80年代にかけて中川さんは歌の世界から離れ、編集や翻訳などに取り組む。その中川さんがカムバックし、人前で再び歌うようになった。
 2009年に中川さんは「1923年福田村の虐殺」という歌を作った。関東大震災の5日後に千葉の福田村(現野田市)で起こった事件を歌った作品だ。香川県から行商人たちが福田村を訪れた。「混乱に乗じて朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」といったデマが飛び交っていた。
 よそ者には厳しい目を向ける村人たちは行商人一行を問い質した。讃岐弁の発音のことをおかしいと言いがかりをつけたりして、9人を殺した。中には身ごもった母親もいて、親子ともども惨殺された。
 行商人たちは地元の四国では職が見つからず、はるばると日用品などを売りに来た被差別部落の人たちだった。行商人たちを殺した村人たちの中には捕まったものもいたが、昭和天皇即位の恩赦で無罪放免となった。
 そして、「パリャヌイツャ」という作品。「パリャヌイツャ」とはウクライナ語で「パン」のこと。「怪しい人」をみかけると、この言葉を言わせて、発音がおかしいと「ロシアのスパイ」だとみなしているという。
 そしてこの作品ではかつての日本のことも歌われる。「怪しい人」がいると「15円50銭」と言わせて、発音がおかしいと「朝鮮人」だとみなして、暴行を働き、殺してしまうこともあったという。
 中川さんは歌うー「言葉は人と人をつなぐもののはずなのに、言葉は敵と味方を分けるものになる。人の命を奪っていく。どちらも伝えるのは人間だけど、人類の知恵だとか進歩だと呼びたくはない」。
 活発にライブ活動を展開している中川さん。「1923年福田村の虐殺」は20分を超える大作。およそ7分の「パリャヌイツャ」をライブではなるべく歌うようにしているという。1923年についての歌が、その100年後の2023年の私たちをも照らし出してもいるのだ。


 

 

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