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ポール、リンダの菜食主義

 「顔のあるものを食べてはダメ!」
 ポール・マッカートニーの亡き妻リンダはそう言っていた。
 もちろん彼らが菜食主義者(ベジタリアン)であるがゆえの言葉であるが、そこには単に動物がかわいそうだからということだけでなく、人間と動物の関係、あるいは自然への接し方といった哲学がうかがえる。
 ポールとリンダが菜食主義に目覚めたのは70年代初めのこと。
 スコットランドにある牧場の丘の上で、日曜日のランチに子羊のもものローストが盛られた食卓につこうとしていた時のことだった。窓の外を見ると、野原で楽しそうに遊んでいる子羊たちが目に入った。
 ポールは振り返る。「お皿にのったラム肉に目を転じた瞬間に突如、気付いたのだ。“子羊の足”だって。ぼくたちは外を見て、子羊の足が走っていると思った。僕たちは外を楽しそうに走り回っているかわいいものたちの足を食べようとしているのだと思った。ぼくたちは何かに打たれたようだった。それが大きな転換点になった。ぼくらはもう肉は食べないと誓ったのだ」(ファンクラブ冊子「クラブ・サンドウィッチ」91年春号)。
 肉を食べるときに思いをはせるべきことがある、とポール。
 私たちが食べようとしている動物は、のどを搔(か)き切られ、苦しみながら死んでいったとか、逆さまに吊られて血抜きのため血をしたたらせていたとか、そういう残酷な仕打ちをされてはじめて私たちの食卓に来たことに、考えを及ばせなければならないという。


 「みんな、自分の食べる鶏肉はパックされてクリーンでなければならないと言う。女性たちは鶏の中に手をつっこんで内臓を出したりはしたくないのだ。人は顔を持ち、心臓を持ち、魂を持っていた何かを食べているという事実を覆い隠そうとしている」とポール。
 ポールは続けて「ほとんどの本では動物には魂がないとされている。でもぼくは同意しない。そういったことを言うのは人類の尊大さにほかならないと思う」。人間は地球上の競争を勝ち抜いてきたが、今や「良き勝者」であるべきだとポールは主張する。
 さらに、人類は今、自分たちが食べているものがどういうふうに自分たちの肉体的精神的健康を左右するのかという壮大な実験をしているのだと、ポールは見ている。
 私たちは自分たちの食べる肉に何が入っているのかさえ知らないのだ――動物は殺されるときに恐怖に陥り、大量のアドレナリンやトキシンを分泌するといわれているのに。
 魚も感情を持たないと言われているが、これまた人間の尊大さゆえの考えだ、とポールはいう。
 リンダは「ポールも私も、苦しみを感じる神経系統を持った動物、牛、羊、豚などの動物はもちろん、鳥や魚もいっさい食べないことにしています」という。
 マッカートニー家の台所を預かってきたリンダは89年に『リンダ・マッカートニーのホーム・クッキング』という料理本を出し、ベストセラーになった。日本では『リンダ・マッカートニーの地球と私のベジタリアン料理』として文化出版局から発売された。

 


 この本を書いた理由としてリンダは、「菜食主義を広めるためでなく、ただひたすら動物たちのため」だと述べていた。そこでは、なぜ肉や魚は要らないのか、あるいはたんぱく質不足にならないかなど、菜食主義に懐疑的な人々の疑問に真摯(しんし)に答えようとしている。
 前述のような理由に加えて、肉が必要でない理由として「健康によくない動物性飽和脂肪が高い率で含まれています」という。
 さらに、世界の穀物生産量の半分以上が、人間でなく動物に与えられており、環境保護や飢餓対策といった観点から、その穀物を食用家畜を通してではなく、直接人間が食べるようにすればよいのでは、とリンダは言う。
 「25トンの穀物を栽培できる土地で、肉は1トンしか作れません」。
 魚については次のように書いている。「海の汚染は今ピークです。処理されていない廃水や、重金属(水銀、カドミウム、鉛、亜鉛、そして時にはプルトニウムやストロンチウムなど)、バクテリア、ウイルス、腸内寄生虫、そして廃液などで汚染されています」。
 「誰もこのような汚濁の中で泳ごうとは思わないでしょう。それならばどうして、そのような中にいる魚を食べるのでしょうか?」。
 菜食主義に疑問を抱く人の多くは、肉を食べないとたんぱく質が十分に取れないのではないかと言う。
 それに対してリンダは、穀類や豆類やナッツでも十分にたんぱく質を取れるのだと主張する。ただし、乳製品も豊富なたんぱく源だが、あまり頼りすぎないようにとも付け加える
 ポールは言う、「肉を食べないヒンズー教徒はどうして生きていられるの」? 彼は菜食主義を広める一環として「ミート・フリー・マンデイ」運動を提唱した。
 要するに、週に一回は肉を食べないようにしよう、ということだ。今年2024年は、同運動がスタートしてから15周年の節目だ。

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