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Interview by KUVIZM #9 SUI(トラックメイカー、サウンドエンジニア、作曲家)

ビートメイカーのKUVIZMが、アーティスト、ビートメイカー、エンジニア、ライター、MV監督、カメラマン、デザイナー、レーベル関係者にインタビューをする"Interview by KUVIZM"。

今回は数々のラップミュージックやももいろクローバーZ、EXILE ATSUSHIさん、三浦大知さんまで様々なアーティストからドラマの劇伴、CM音楽までを手掛けるトラックメイカー、サウンドエンジニア、作曲家のSUIさんにインタビューしました。
KUVIZM自身も楽曲制作のアドバイスをあおぎ、日ごろからお世話になっている方です。

about SUI
作家/トラックメイカー/エンジニア。
ヒップホップ、EDM主体のトラックメイク・制作手法に精通し、近年アンビエント、ポスト・ブレイクビーツに傾倒。作曲からアレンジ、ミキシング、マスタリングまで幅広く手掛ける。アーティストへの楽曲提供およびプロデュース、テレビドラマ・アニメ劇伴、CM音楽で活動。機材誌への寄稿、各種セミナーやブログを通じてDAW、音楽制作に関する情報を幅広く提供している。

Twitter:https://twitter.com/sui_k7bp


-音楽に興味をもつまで

KUVIZM:
ご出身はどちらですか?

SUI:
宮崎県です。

KUVIZM:
音楽はいつから好きになりましたか?

SUI:
10歳ぐらいからCDを買い集め始めました。
ハードロックとメタルが全盛期で、メタリカやパンテラなどですね。

KUVIZM:
全盛期とはいえ、10歳にしては早くないですか?

SUI:
ラジオを聴いていたんです。ラジオを聴くのが好きで寝る前とかに聴いていました。宮崎県はラジオのチャンネルが数少ないので選択肢もあまりなく、ヘビーメタル専門誌『BURRN!』の編集長の酒井さんがやっていたラジオ番組「Heavy Metal Syndicate」を聴いてるうちに段々と詳しくなりました。
メタルにはまった入り口はX(のちのX JAPAN)でした。『Vanishing Vision』というアルバムのジャケットが当時の小学生の自分にとっては衝撃的で興味を持ちました。「こんな絵で普通に売っていいの?」みたいな、エロ本を買う小学生のような感じで興味を持ちました。
似たような音楽がアメリカにもあることを知って、モトリー・クルーやメガデスも聴くようになりました。

KUVIZM:
当時はラジオを聴いている人も周りには多かったですか?

SUI:
全然。衰退していてみんなテレビやCDでしたね。

KUVIZM:
ハードロックやメタルの流れから、ご自身でも楽器を始めるのでしょうか?

SUI:
中学校2年生ぐらいから楽器をやりたくなってベースを始めました。
ギターは弦の数が多いから弦の数が少ないベースの方が簡単そうだっていうのと、ベーシストはバンドの”屋台骨”や”全体を支える”といった表現をされたりするのでかっこいいなと思ってベースにしました。

KUVIZM:
バンドもやられていたのでしょうか?

SUI:
やっていました。MR. BIGとかExtremeのコピーバンドをしていましたね。

-上京、トラックメイク、エンジニア活動の開始

KUVIZM:
上京はどのタイミングでしょうか?

SUI:
上京は20歳ですね。

KUVIZM:
ということは高校を卒業してから数年は宮崎にいたのでしょうか?

SUI:
そうですね、2年間いました。遊んでいました。
高校生の時からメロコアの時代になって、20歳くらいまではメロコアやパンクのバンドをやりながらフリーターをしていました。

KUVIZM:
上京のきっかけは何でしょうか?

SUI:
バンドをやっていると揉めることもあって、バンドはメンバーが抜けると音楽をできなくなっちゃうのでそれが嫌になって1人で音楽をやろうと思ったんです。
それで機材が欲しくなったのですが機材を買うにもお金がなくて。東京だったら時給が高いから効率がいいなと思って上京を選びました。

KUVIZM:
はじめはどのような機材を買ったのでしょうか?

SUI:
MPCとKORGのキーボードですね。

KUVIZM:
MPCということははじめからHIP HOPの曲を作ろうしていたのでしょうか?

SUI:
地元にいると当時はやはり情報が少なかったんです。
地元の本屋でも買えた『GROOVE』や『remix』という雑誌を読んでいたのですが、『GROOVE』にD.O.I.さんが度々載っていたんです。それを見て凄くかっこいいなと思って、D.O.I.さんに憧れて、という感じですね。

KUVIZM:
『GROOVE』や『remix』をお読みになっていた段階で、バンドミュージックよりもクラブミュージックに好みが変わっていったのでしょうか?

SUI:
当時組んでいたバンドのボーカルが普段はクラブでハウスのDJやっていて、バンドの中にクラブの影響が凄く入ってきてたんです。僕はその人からDJのやり方を教えてもらって、ロックのレコードを買い集めてロックのDJやったりもしていました。その流れで当時流行っていたアシッドジャズ等も織り交ぜたりして、段々とHIP HOPに寄っていきました。田舎だと何を演るかっていうのは結構ボーダレスだったりして、好きならなんでもっていう雰囲気がありました。
その頃、m-floやDJ HASEBEさんが活躍していて、「こういった音楽が日本でもヒットするんだ」みたいに思ったり、大沢伸一さんがBirdをプロデュースしていたのもあの時代だったんです。J-WAVEで大沢伸一さんが喋っているのを聴いて「プロデューサーってかっこいいな」とか、Japanese R&Bが盛り上がってきていました。半分はバンドやりながら、半分はそういった音楽を作りたい、みたいな状態が2、3年続いていました。

KUVIZM:
トラックメイクは独学で始めたのですか?

SUI:
そうですね。学校に行くお金が無かったので、地元にいる間はサンレコ(『サウンド&レコーディング・マガジン』)をひたすら読んで勉強していました。

KUVIZM:
その後、HIP HOPシーンにはどのように交わっていくのでしょうか?

SUI:
上京した後に『マンハッタンレコード』の会社(レキシントン)で働くことになったんです。
フロムエー(アルバイト求人雑誌)にレキシントンの名前で「レコード好き集まれ」みたいな感じで求人が載っていて。『マンハッタンレコード』とは書いてなかったんです。『マンハッタンレコード』の会社がレキシントンであることを知らずに応募しました。
面接に行って採用になって、働き始めた初日にお店をまわって挨拶に行くときに『マンハッタンレコード』の会社であることを知りました。

当時、レキシントンのビルの3階にレコーディングスタジオがあったんです。レキシントンのレーベルに所属してたのがMUROさんNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDで、そのスタジオにD.O.I.さんがKORG TRITONを片手にちょこちょこ出入りしていました。僕はレキシントンのスタッフとして横目で見つつ、段々とアーティストやスタジオスタッフに近づいていきました。

KUVIZM:
当時のSUIさんはアルバイトとしてどのようなお仕事をしていたのですか?

SUI:
レコードの卸売りでした。アメリカやヨーロッパからレコードを輸入して、日本のレコードショップに卸すという業務でした。

-MUROさんとの出会い

KUVIZM:
そういった業務をやりつつも、どのようにしてエンジニアの仕事をするようになるのでしょうか?

SUI:
同じ会社のスタッフで、当時MUROさんのマネージャーをやっていたアパッチさんという方がいて、社内のご意見番みたいな存在だったんですけど、彼に「D.O.I.さんみたいになりたいです。」と言ったんです。けれど、すぐに「いいよ」みたいな感じではなかったんです。
「やりたい」「やりたい」と言い続けた2年ぐらいの間、会社の中でラップをやってるというスタッフ何人かの音源作りを手伝っていたんです。ビートを作ったりレコーディングしたり。あとは時間があるときにスタジオの掃除とかを手伝ったりしながらエンジニアさんと仲良くなったり。
そうこうしているうちにアパッチさんから「お前、色々やってるらしいな」「一緒にやってみる?」みたいな感じになって、最初にKODP(キング・オブ・ディギン・プロダクション、DEV LARGEさんやDJ WATARAIさんも所属)のメンバーの1人であるDJ TUS-ONEさんが僕をテストしに来たんです。どのぐらい作業ができるかという。

KUVIZM:
緊張しますね。

SUI:
そのテストをパスして、「こいつは使える」という話しがMUROさんに伝わって、MUROさんと一緒に作業をできるようになりました。

KUVIZM:
テストの時はPro Toolsでしょうか?

SUI:
Pro Toolsでのトラックメイクですね。このテストでDJ TUS-ONEさんと作ったトラックは後にGo Forcemen “Mighty Mic Mastaz”としてリリースされてます。

KUVIZM:
ご自身もプライベートでPro Toolsをお使いだったということでしょうか?

SUI:
はい。Pro Tools LEですけどね。

KUVIZM:
それも独学ですよね。

SUI:
そうですね。
当時、MUROさんがD.O.I.さんとずっと作業をしていたんですね。アパッチさんから「MUROがD.O.I.さんのところに行くからお前も来い」って言われて、スタジオに入れてもらってD.O.I.さんの作業を見せてもらっていました。
MUROさんがビートを組むぞっていうのをD.O.I.さんがマニピュレートしているのを何回か見せていただいて。18歳くらいの頃から憧れてるD.O.I.さんなので何かにつけて張り付いて、MUROさんが帰っても僕はいるみたいな状態で朝まで話をさせてもらったりしていました。
そこでプリプロダクションのやり方やPro Toolsを使ったビートの組み方を見て学びました。
自分も何かできないかと思って自分のベースをスタジオに持って行っていたんです。それで何曲かでベースで参加することもあって、今度は「参加している曲のMIX工程を見せてください」と言って、MIXの作業を最初から最後まで見せてもらったこともありました。
詳しく作業の解説を受けたわけではないですが見て学んだことは大きいです。
いまだに”見て学ぶ”ことは僕の中で大事にしていることですね。説明をされるよりも目をかっぴらいて集中して見ていた方が学ぶことは多いと思うんです。
自分が教える立場になった時に「見れば分かるだろ」って思いながらやってるところがあって(笑)。でも、見て学ぶ人ばかりではないですからね、世の中には。

KUVIZM:
SUIさんが作業風景をライブ配信したりしたこともありましたよね。

SUI:
あれはまさに「見れば分かるだろ」っていう(笑)。それじゃあ面白くないんだろうなって思うので、やり方は考えたほうがいいかもしれませんね。作業配信がいいのは、「その人の思考じゃないところ」も伝わるところです。
見た人が自分の頭の中で自分の言葉で解釈して自分のスキルになっていくことが大事だと思っています。
見た時には分からなくても、後で「あの時、ああやっていたのはこういうことだったんだ」って気づくこともあって、言葉で解説されない方が学ぶ側としては効率が良いんじゃないかなって思っています。

作業配信の模様

KUVIZM:
スタジオで同席する中で、SUIさんに任せようという仕事が増えていったのでしょうか?

SUI:
増えてきました。MUROさんは基本的に「良ければ若くても任せていこう」っていう精神が強いので。

KUVIZM:
育てようということですか?

SUI:
多分そうですね。スパルタチックではなく自然な形で育てる。
まあKODPの中では「無言の重圧」って言われていたのですが、MUROさんは温かい目で見守って育てようみたいなマインドが凄くある方です。
例えばMUROさんと仕事をご一緒し始めて3年ぐらいでMUROさんのアルバムの全曲ミックスを任されたりしたんです。

KUVIZM:
すごいですね。

SUI:
そんなこと普通は出来ないと思うんですよ。
だけど任せてくださったので僕もその重みをすごい感じて奮闘しました。

KUVIZM:
そこで成長できた部分は大きいですか?

SUI:
本当に大きいと思いますね。
プレッシャーも感じたし、ありがたみっていうのも感じて、僕がMUROさんだったらそんなこと出来ないなって思います。だからこそ120%で答えたい思いで努力しましたね。

KUVIZM:
その当時は何年くらいですか?

SUI:
2005年、26歳ですね。25歳でレキシントンを辞めて独立したので、独立してから2年目ですね。

KUVIZM:
独立したきっかけは何でしょうか?

SUI:
単純に時間が無かったんです。
朝の10時から夜の7時ぐらいまでレキシントンで働いて、MUROさんが夜の9時に家に来られて朝の5時まで作業するというのを週4日でやっていて、若さで(心身ともに)無茶苦茶できていたんですけど、それがちょっともう「マズいな」っていう風に追い込まれちゃって辞めましたね。
辞める決断をした時って、時代的に正社員だとか安定した収入って今より重んじられていた時期だったので、親や知人には全力で反対されました。でもお金とか生活のこと考えてなかった逆に(笑)。
でも幸い、MUROさん周辺のKASHI DA HANDSOMEさんなど、いろんな方が仕事を振ってくれるようになって仕事は増えました。

KUVIZM:
MUROさんは作業について具体的に口出しすることは多いですか?

SUI:
MUROさんの『真ッ黒ニナル果テ』という本で、D.O.I.さんとDJ WATARAIさんと鼎談したのですが、「MUROさんは全然口出ししない」というのが3人の共通してた印象でした。
僕だけじゃなかったんですね、みたいな感じになった話がありました。口出しは基本的はせず答えは「イケてるか」「イケてないか」という2択です。

KUVIZM:
それはそれで怖いですね

SUI:
その怖さが常にあって、イケてないときに「もうちょっとここをこうしてさ」みたいなのが無いんです。イケてなかったら「この曲は無しで」みたいな。0か100かみたいな感じの方でした。イケていない場合はスッと帰るという。「お疲れっしたー」って帰っちゃうんで(笑)。
「ああイケてなかったんだな」っていうのが後でわかるっていう。厳しかったのですが、その厳しさが自分を伸ばしてくれるのは分かっていたので、「こんなにいい先生いないよな」っていう感じはありました。

KUVIZM:
イケてない場合、例えばリベンジというか、ちょっと調整してもう1回聞いてもらうってのは出来たりしないんですか?

SUI:
あるのですが、それで良くなったことはないですね。だから「今日はこのレコードでやろうと思うんですけど」ってMUROさんから初めてネタを聞かせてもらってエディットを始める、その数分間が本当に勝負っていうか。今で言う全集中モードで、知ってること、出来ることを全て出し切るつもりで臨んでました。

KUVIZM:
その後MUROさんとお仕事をしながら、他のアーティストの方々ともお仕事をして、いい感じに仕事がある状態が続いていった感じでしょうか。

SUI:
とはいえ全部インディーズでのリリースだったので、お金まわりは全然良くなかったですね。

-劇伴、チャレンジについて

KUVIZM:
SUIさんは、エンジニア、トラックメイカー以外にもドラマなどの劇伴の作曲などいろんなジャンルの音楽を作られていますが、劇伴を始めたきっかけはございますか?

SUI:
理由は2つあります。
僕はビートメイクをやりたいと思ったの最初のきっかけが映像音楽だったんです。
Far East Skate Network ”東西南北”という森田貴宏さんが監督されたスケボーのビデオのバックで鳴っている音楽がかっこよくて、内容的にはヒップホップ、アブストラクト、ブレイクビーツの上に声ネタなどを散りばめたミクスチャー的コラージュ作品でした。こういった音楽を映像に合わせて作るのが楽しそうだなって思って打ち込みを始めたのが最初にあったので、映像関係の仕事をしたいという気持ちはずっとあったんです。
そして今所属している『ミラクルバス』という事務所の池田さんというディレクターが「SUIさんと仕事をしたいんですけど」と訪ねて来てくれたのが2つめの理由ですね。お互いがHip Hop育ちだったということで池田さんと仲良くなって、「映像の仕事もしてみたいんだけど」っていう相談をしたりして、「じゃあうちの事務所にきませんか」みたいな感じで。それが36歳とかですね。

KUVIZM:
時系列としては独立してから期間が空きますね。

SUI:
うん、空きますね。
独立した後に31歳から36歳までMISIAさんの事務所である『Rhythmedia』にエンジニアとして所属して、それ以降はフリーと『ミラクルバス』ですね。

KUVIZM:
お仕事はフリーで受けることが多いですか?それとも事務所経由が多いですか?

SUI:
半々ですね。

KUVIZM:
フリーランスでのお仕事は人脈や過去の実績からお声がかかるのですか?

SUI:
ずっと仕事を一緒にやってきた繋がりからもあれば、人づてに紹介されて新しくお声がけをいただくことが多いですね。

KUVIZM:
今後もエンジニアとトラックメイク、作曲を両立していきたいと思いますか?

SUI:
僕にやれるところがあれば。
ただ劇伴の作曲は、音大出身の人たちが強いので枠を取れないという現実はあるんです。そこはチャレンジ要素が大きいので、チャレンジする部分(劇伴やCM音楽の作曲)と確実に食える部分(トラックメイクとエンジニア)を半々にしている感じです。

KUVIZM:
劇伴の作曲は難しいですか?

SUI:
曲を書くことよりも、作曲家としてレコーディングの現場に立つことが難しいです。オーケストラなどを迎えての大規模なレコーディング等もありますし、そこでの常識を全く知らないで飛び込んだので。他の作家さんのアシスタントとして現場に潜り込まない限りは基本的に誰もマナーを教えてくれません。僕は同じ事務所の作家さんに差し入れを持って行きながら「すみません、ちょっと譜面の書き方教えてください。」とか言って助けてもらったりします(笑)。25、6歳の作曲家の子たちに教えてもらうみたいな感じです。

KUVIZM:
得るものが多かったり、楽しいですか?

SUI:
でもね、(分野が)違いすぎてあんまり頭に入ってこないですね(笑)。
こんなこと言ったら教えてくれなくなるかもしれないけど、習っても覚えられないみたいな(笑)。
逆に彼らがアレンジや音作りで困っている時は助けたりしていますけど。

KUVIZM:
今後もチャレンジは続けていきたいですか?

SUI:
今は作曲、エンジニア、トラックメイクの3つの塊があるけど、最初はエンジニアが食える部分で、トラックメイカーはチャレンジの部分だったんです。
次第にトラックメイクでも食えるようになってきて、「新しいチャレンジどうしよう」みたいな感じで劇伴にチャレンジしていますね。劇伴もあわよくば確実に食えるラインに引き込んでいきたいです。

KUVIZM:
凄く様々なお仕事やられていてご多忙に見えますが、チャレンジが出来るように時間や体力の余力を残していますか?

SUI:
そうですね。
例えば時間的に1曲のミックスに8時間かかる場合に相手には10時間って言うんです。そうしたら8時間でそれを終えて、2時間余力ができるわけじゃないですか。その2時間でチャレンジの部分をやっていくっていう作業を繰り返しています。金銭的な面と時間的な面で各作業に少しづつ余力を盛り込んで、それを積み重ねてチャレンジの時間として使うようなイメージです。

KUVIZM:
仕事の量をセーブしたりすることはありますか?あえて忙しくなりすぎないように。

SUI:
今は忙しくなりすぎないようにしています。
コロナが流行る前まではやれることは全部やってた感じはしますね。なんでもやっていました。コロナ渦でいろんなことがはっきりわかるようになったなって思ったんです。例えば悪いことをしている人たちは捕まっちゃったりすることも多くなったし、じっくり考える時間が相対的に増えた事で、不要なものは不要なものとしてハッキリ認識されるようになってきた。
動画やSNSライブでの発信が当たり前になって、SNSでの発言も含めて音楽や作り手のクオリティーがいろんな意味でバレるようになったと思います。
ずっと当たり前のことだったんだろうけど、時間的都合で短時間で仕上げたものとか、予算の問題があって作業面での質を落としたものは、手抜きしましたねとは言われないけど、より伝わってしまうんです。どこかで。
忙しすぎることで慣れた手つきが結果的に手抜きにならないよう気をつけるようになったのは、特に最近の変化でもありますね。

KUVIZM:
作曲やトラック、エンジニアの作業はデスクワークだと思うのですが、意識的に運動をしたり食生活に気を付けていますか?

SUI:
運動はしていますね。集まれるときにバスケ、フットサル、ひとりだとSUP、自転車で遠くに行くなどをやっています。
30歳ぐらいから健康に気を付けるようになったってのがあって、食事も添加物をとらないようにするとか、調味料に気を付けるとか。
まあ若い人たちに向けて言うなら、コンビニ飯を控えるとか、そういうことは当たり前というか、プロスポーツの選手じゃないけど、体調を整えるのは当然のことだと思います。
座り仕事中心で腰や肩が痛くなると指圧マッサージに行きがちですが、お金も移動の時間もかかるのでYouTubeヨガがお勧めです。YouTubeなので好きな時間に出来ますし、毎日やるとそういった痛みや不調から根本的に解放されます。

KUVIZM:
機材であったりとか技術の知識、非常に豊富でいらっしゃいますが、仕事で必要に迫られて身につけられたものでしょうか?
それともご自身の性格的な部分であったりプロ意識でしょうか?

SUI:
後付けですね知識とかは。
昔は、仕事でスタジオに行くと(スタジオの)アシスタントエンジニアが「お前、どのぐらいできんの?」みたいに試そうとしてきたんです。
でも、僕はわからないことがあったら「これどうやって使うんですか?」と素直に聞いちゃうんです。そうすると「お前そんなことも知らないのに、ここ立ってんのかよ」みたいな態度をされるんだけど、教えてはくれるんです。それを「ありがとうございます」と言って後で調べる、みたいな。なので後付けですね。
現場で、冷や汗をかいてその日を過ごして、「やべぇ、これの使い方覚えておかないと」みたいな感じで後日覚えていきました。

KUVIZM:
人間は恥を捨てることが大事だと思うんです。
年上年下に質問するのが恥ずかしいとか、エンジニアがアシスタントに質問するのが恥ずかしいとか、そういうのがないのはすごく大事な事のように思います。

SUI:
そうですね。
でも多分、知らないこととかを恥だと思っていないですね。
相手が若かろうが年を取っていようが知ってる人は知っているわけじゃないですか。知らない人が知っている人に聞くのは当たり前という感覚ですかね。

KUVIZM:
凄く近道ですよね。それが出来る、出来ないの差はありそうです。

SUI:
うん、そうですね。大きいかもしれないですね。

KUVIZM:
音楽は新しい楽曲を積極的に聴きますか?

SUI:
Spotifyが勝手に選んでくる曲たちをじっくり聞いて、良いのがあったら「これ誰なんだろう」とアルバムに入っていくというか、そういう感じで聴いています。知らない音楽を聴きたいのですがそういう音楽を探すのは手間がかかるので。

-後輩にむけて

KUVIZM:
これまでの活動を振り返っていただくと大きな転機というよりも、ひとつひとつの積み重ねという感じでしょうか?

SUI:
そうですね。大きな転機は25歳で会社を辞めた時ぐらいかな。
あとはいい出会いの積み重ね、自分というより周りの人の力の方が大きいです。

KUVIZM:
トラックメイカー、エンジニアの後輩にアドバイスやメッセージをいただけないでしょうか?

SUI:
29歳の時にD.O.I.さんに「そろそろ30歳になるんですけど、俺どうしたらいいですか?」って相談したんです。
そうしたらD.O.I.さんからは「真面目にやってれば大丈夫っすよ」って言われて。
その後ちゃんと大丈夫だったので、謙虚に真面目にやってればいいんじゃないかと思います。

あと、人との出会いは「あの人と繋がったほうがよさそう」とか、「ビジネスに繋がりそうだから繋がっておこう」とかで出会っても大抵役に立たない。
会うべき人には不思議と出会うんですよね。人生の助けになったり、自分が今いる世界から少し外の世界に広げてくれたりする人って、ちゃんと出会えるんです。ちょっとスピリチュアルな話になっちゃうんですけど。
僕は結構会うべき人には出会ってきたし、会わなくていい人には会わないっていうのはずっと思っています。そして会った人は凄く大事にしています。
そこを大切にできる人が10年20年の長いタームで見ると伸びると思うんですよね。そうして出会った人を裏切ったり、失礼な態度を取っているようじゃ信頼は得られないし、足場を築くことも出来ないんですよね、多分。
本当に会うべき人に会ってる。

KUVIZM:
インタビューは以上となります。ありがとうございました。

記事作成協力:ナナシさん

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