インタビューを仕事にしたい理由

これまでの社会人生活のなかで「いい仕事」と呼ばれるものをいくつか目にしてきた。

そのうちのいくつかに関しては、私も一端に関わらせていただいた(と思いたいが、どの程度の役割を担えたかは不明…)。

なんとなくわかってきたことがある。「いい仕事」は、関わる人みんなを嬉しくさせる。お客さんはもちろんのこと、社員やスタッフもうれしくなる、スポンサーがいるならその会社もうれしくなる。

そして、もう一つ肌で感じてきたのは、「いい仕事」は、その中心にいる人の才能が自由に解き放たれているパターンが多いことだ。才能は、得意なことや、知らずとやっちゃうこと、ずっと考えても苦にならないこと、と言い換えることもできるかもしれない。

とにかく、誰かの才能が解放されたときに「いい仕事」が起きている(さまざまな条件の掛け合わせなので常に起きるとは限らないが、少なくとも確率は跳ね上がるように思える)。

さて、ここまで回りくどく書いてきた。今日は私がインタビュー(聴く)を仕事にしていきたいと考える「根っこ」について、改めて言葉にしてみたかったのだか、気づけばまずは「いい仕事」についてから書きはじめていた。

でも案外これが「根っこ」に近いのかもしれない。

インタビュアーという肩書きで活動していると「なぜその仕事を?」と聞かれることが多々あるが、その度に自分の口から出てくる言葉がある。

「聴くことが好きな人や得意な人がそれで食べていける世の中の方がおもしろいと思うんですよね」

インタビュアーと名乗って仕事をしている人はまだまだ少ない。インタビューライターは多くいらっしゃるが、私はライティングを前提としない広義の「インタビュー」の可能性を模索し、まだない仕事を作っていきたい気持ちでいる(実験中)。道半ばも甚だしいが、そんな気持ちだけはある。

「こんなかたちの仕事もあるよ」ということが前例として提示できれば、聴くことが好きな人、得意な人がそれを解放して「いい仕事」が世の中に増えていくはず。それは嘘偽りなく、見てみたい風景だ。

これとは別に、もう一つ必ず出てくる言葉があって、それは「世の中に『聴く』が足りないから」というものだ。ちなみに、もちろんこれも本心だ。聴くことの価値やおもしろさを、インタビューを通じてもっと広げたいと思っている。

では「聴く」が広がっていくためには、どんなルートがあるのだろうか。これが正解というものはないだろうが、ひとつとしては、利害関係のない第三者が「聴く」ことが当たり前になっていると、いいなと思う。

端的に言うと世の中にインタビュアーが増えたらいいんじゃないかなと考えている。そして週に一回、インタビュアーがあなたの話をじっくりと聞いて、問いを投げかける。アドバイスはしない、ただ聴く。それだけのこと?と思われるかもしれないが、それだけで聴いてもらった方はちょっと生きやすくなると信じてたりする。

生きやすくなるだけでなく、もっと言えば、聴かれた人が自分の才能(ついやっちゃうこと)に気づき、それを解放していく未来につながる可能性も十分あると思う。私は、インタビューは「価値発見」の手伝いをするものだと思っている。

結果、世の中に「いい仕事」が増える。
それは、その方がいい。
いい仕事をしているとき、人はきらきらとしている。それは美しいとさえ思う。

誰もが才能を発揮できる社会がいいよね、というのはよく言われるし、あまりにも大きなテーマだ。どこから手をつけていいのか逡巡してしまう。

僕は、「聴く」という入口から入ってみることにした。懐中電灯持って、おそるおそるではあるものの。

22/06/19

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