【ショートショート】味見
幼馴染の亜美が作ったおにぎりが赤く輝いている。隣に座る彼女は頬を赤くしながら言う。食べてもらいたい人がいるから、まずは俺に味見をしてほしいらしい。
これは、どうしたらいいんだ――。
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「拓海、全然だめじゃん」
亜美が緑色のネットを掴みながらケラケラと笑う。
「うるさいな……」
茶化してくる亜美を横目で睨んでからグリップを握り直す。視線の先に
ホームランの的があるが、今日はゴロの山を築いている。
何度も肩を揺する。リラックスするように心掛けていても、後ろに亜美がいるからどうしても力んでしまう。多分、ホームランは無理だろう。
「おつかれー。はい、おしぼり」
「お、おう」
おしぼりを火照った顔に当てる。あー、みっともない。コーラの英文字が書かれた赤いベンチに腰を落ち着ける。静かに深呼吸した。
「拓海のホームラン、見たかったのになぁ」
悪戯っぽく笑う彼女を横目で見る。
――亜美が後ろで見ていたからだっつーの。
口を開きかけたが、ここは黙っておこう。
夏の予選でホームランを打ったら亜美に告白しようと思ったのに、その目標は果たせなかった。
亜美は長い足をプランプランと揺らしている。なんだか機嫌がいい。先程、バスケのゲームでゴールを量産して高得点を出したからかもしれない。
亜美は活発な女子だ。子供の頃から小麦色の肌でショートの髪型は変わらないが、気づいたらすっかり大人びている。
彼女を意識するようになったのは高校生になってからだ。バスケ部に入部してメキメキと身長が伸びて、175センチある俺より10センチほど低いだけだ。
バットを持った時に「拓海! がんばれ!」と手を振った時の彼女の笑顔が眩しすぎて心臓が踊った。
ノースリーブのパーカーにデニムのショートパンツ……いくら夏だといっても、そんな服装で来られると刺激が強すぎる。彼女を直視できない。
小さく息をついて立ち上がり、顔を拭いたおしぼりを使用済みのカゴに入れる。ベンチに戻ろうとすると、亜美に見とれている中学生ぐらいの男子の群れが視界に入る。咳払いをして野犬のように睨むと退散していった。
亜美の隣りに腰を下ろす。夏の予選が終わって俺は野球部を引退した。あれからまだ1カ月も経っていないのに、すっかり衰えてしまっている。
「ねえ拓海。あたしね、今日はおにぎりを作ってきたんだ」
――えっ?
脈が早くなる。
亜美が隣に置いてあったクラフトのかごを膝元に置いた。
喉元がこくりと鳴る。
実は、亜美と会った時にそれがずっと気になっていた。
昨日、唐突に彼女から連絡があって背筋が伸びたのを思い出す。
『明日、会ってほしいんだけど、いい?』
「は? なんで?」
『なんでもいいでしょ。ヒマ?』
「まあ……ヒマだけどよ」
と言いながらも、期待感が高まった。いつもの快活な亜美の声じゃなかったからだ。
お互い身体を動かすことが好きなので、お昼に地元のスポーツ複合施設で会う約束をした。
――亜美は、俺のためにおにぎりを作ってきてくれたのかもしれない。
小高い丘の上で叫びたい気分だ。きっと、俺の声はアフリカまで届くだろう。顔がにやけるのを察知して視線を外す。
「あのね、食べてもらいたい人がいるの」
「ふーん」
あくまでも、平静を装う。ん? 待てよ?
食べてもらいたい人がいる?
「だから、まずは拓海に味見してほしいの」
「えっ? 味見?」
予想していなかった言葉を耳にして思わず亜美に顔を向ける。彼女は両手の上に丸いおにぎりを持っている。
――こ、これは。
ガムテープのように海苔を巻きつけたおにぎりがクレラップで包まれている。でかい。これはでかいぞ。まるで爆弾……いや、問題はそのおにぎりの中が赤く光っていることだ。
しかも、どぎつい赤だ。
これは、凄まじく辛いことを示している。中に何が入っているんだ?
俺は物心がついたときから味の色を見ることができる。
甘いものはピンク、酸っぱいものは黄色、辛い物は赤など、最初は「なんだこれ?」と思ったけど、観察しているうちに味の色であることが分かった。
俺が1歳の時、2階で子守をしていた親父が目を離した隙に階段から転落した話をよく母さんから聞かされた。
頭の形が変わるかと思ったと大袈裟に呟いていたけど、その衝撃で俺はこんな体質になってしまったと思っている。でも、普段の生活には支障がないし、病院は嫌いだからそのままにしている。
俺は慎重にラップをはいでいく中、混乱している頭を整理する。
亜美のハートを射止めた男子は誰なんだ? サッカー部の宮田か? それとも、隣のクラスのイケメンとして名高い藤久保か? そういや、藤久保が亜美と廊下で楽しそうに話しているのを見て歯がゆくなったことがある。
亜美は卒業すると、バスケが強い大学に進学する噂がある。つまり、県外に行く可能性が高い。
ホームランは打てなかったけど、夏休み中にこの想いを亜美に告げようと思った矢先、彼女から連絡がきて運命を感じた。それなのに、彼女は既に別の男子に心を奪われてしまっていた。
彼女が隣にいなかったら、PKを外した選手のように頭を抱えて悶絶するところ――。
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「拓海」
「えっ?」
我に返った。どうしたのよと亜美が首を傾げる。そうだ。今は目の前の黒い爆弾……いや、彼女のおにぎりをなんとかしないと。
「食べないの?」
やばいぞ。亜美の表情が曇ってきた。違う。本当は嬉しいんだ。涙が出そうなほど感動している。すぐにでも口の中に放り込みたい。
……このおにぎりが、とんでもなく赤く光っていなければ。
「もしかして、おにぎりが苦手?」
亜美が肩を落とすので胸に痛みを感じた。これ以上、彼女を落ち込ませるわけにはいかない。バンジージャンプをする瞬間の気持ちになった。
「いただきます!」
俺は勢いよくおにぎりにかぶりつい――。
その刹那、海水のような塩辛さが口内に広がる。
――しょっぱ! 辛!
ちょっと待て。塩が効きすぎて――なんでキムチと明太子が一緒に入っているんだ。好物だけど、ブレンドして変な化学反応を起こしているじゃないか。
――く、口が爆発しそうだ
「どう?」
亜美が顔を寄せてくる。
「うん……」
歪みそうな表情を意地で変えないが、反動でジーンズを握ってしまう。
確か亜美にはお兄ちゃんがいるはずだ。なんで味見をしてやらなかったんだ? いや、お兄ちゃんは、自立して一人暮らししていると言っていた気がする。
そもそも、好きな人のために作ったから亜美は家族には知られたくなかったのかもしれない。
亜美が俺の顔に注目しているのが分かる。顔面の震えを左半分だけに必死に抑える。勢いに任せておにぎりを口に入れ過ぎたことを激しく後悔している。
どうする? どうする?
早く飲み込まないと、俺の口がもたない。
「ねえねえ彼女、かわいいね。学生?」
整った顔の男が亜美に声を掛けてきた。彼女が振り向く。チャンスだ。俺はペットボトルのお茶を一気飲みして、おにぎりを胃の中に流し込む。
「えっと……」
言葉を濁している亜美の背中越しに、俺は男に視線を合わせた。
男が肩をすくめる。
顔を歪ませて睨め付ける俺の表情が、般若のように写ったのかもしれない。
一緒にいる口ひげを蓄えた男が「やめとけ」と男を促している。関わるなと言いたいのかもしれない。腹が立つがタイミングがよかったので正直助かった。
「あ、拓海、おにぎりどうだった?」
亜美が振り返って視線を合わせる。ぱっちりと大きい瞳に吸い込まれそうになる。一瞬、自分の唇が腫れていないか心配になった。
「う、うまいな」
「本当?」
亜美の表情がぱあっと明るくなった。しまった。彼女を悲しませたくないからと、思わず嘘をついてしまった。
「あー、安心した。じゃあ、私もおにぎりを食べよっと!」
亜美がおにぎりに手を伸ばそうとしたその刹那、背中に鳥肌が立った。
「あ―――――っ」
「ちょ、ちょっと、急に何よ」
びくついた亜美が両手を胸元に寄せる。なんだなんだと周囲の目が俺に突き刺さる。
「亜美、ごめん」
「えっ?」
「本当は、ちょっと塩辛い……かもな」
「えっ? うそ?」
亜美が控えめにおにぎりの端をかじった。
「なんつーか、具は一つだけにしたほうがいいと思う」
……亜美が言葉を失っている。衝撃だったのだろう。ハンドタオルで口を押さえて考え込んでいる。具のことは耳に入らなかったかもしれない。
だから味見をしておけと言ったんだ……という言葉を飲み込む。何かフォローをしないと……。
「でも、心がこもっているから、亜美の気持ちは伝わるんじゃねえの?」
「えっ?」
落胆している亜美が俺に視線を向ける。潤んでいる瞳に心を奪われて、心臓の鼓動がまた早くなった。
「俺だったら、好きな子が作ったものは喜んで食べる」
途中で何を言いたいのか分からなくなった。
なんで俺が亜美の想い人のことを考えてやらないといけないんだ。目の奥から熱いものが流れてきそうだ。壁があったら頭突きを百発したい気分だ。しかし、彼女には笑っていてほしい。大きく目を見開いて涙をせき止める。
明日は一人でここにきて、千本バッティングをしよう。いや、亜美の好きな歌手のチケットを買ってお金がないから、十本にしておこう……。
ゆっくり亜美に視線を向けると、ぱっちりとした瞳が二度瞬いた。ま、まずいことを言ってしまったのだろうか。
「あのね……」
亜美がパーカーの紐をつまんで持て余している。
なんだなんだ。まだ何かあるのか?
「本当はね、拓海に食べて……ほしかったんだ」
――えっ?
「その、恥ずかしくなってきて思わず味見をしてほしいと言っちゃってさ。ほら、拓海は明太子とかキムチとか、辛いものが好きでしょ? 全部詰め込んだら喜ぶと思って……」
亜美が視線を外した。
頬を赤らめる彼女の横顔を見て、ざわついていた胸の中が急に温かくなった。
外で風船が割れるような音が鳴る。
『ホームラン!』
誰かがホームランの的に打球を当てたみたいだ。
安っぽい電子音が鳴り響く中、ホームランなんて、もうどうでもいいと思った。
「あっ、そうだ」
亜美がはっとする。
「実はね、デザートも作ってきたんだよ」
――えっ? デザート?
「カップケーキなんだけど、中に拓海の好きな――」
亜美が手に持つカップケーキが、何度も絵の具で塗りつぶしたようなピンクの光を放っている。
しかも、どぎついピンクだ。色に圧倒されてカップケーキの中に何が入っているのか聞き逃した。
「これは味見じゃなくて、全部食べてほしいな」
はいどうぞと亜美がにんまりと目を細める。そうだよ。俺はこの感情豊かな彼女の表情に惹かれたんだ。
「いただきます!」
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