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『16:50くらいからの一日』

 目覚ましのアラームが鳴った。そう思ったが、そうではなく、俺を現実に引き戻したのは着信音だった。スマホの画面をみると、「由香子」と表示されていた。目尻を擦りながら、応答のボタンを押した。
「……ん、何」
「今、何してる?」
「今、起きた」
「こんな時間まで?」
「……今、何時?」
「それって私が答えるべき?」
 スマホを耳から離して画面を見た。時間を示す小さい数列は16:15。
「……ほんとだよ」俺が言った。
「声で分かる」
「自分でも信じられない」
「昨日寝たの、何時?」
「2時くらい」
「それは寝過ぎ」
「起きられなかった」
「分かってる」
「休日死んだ」
「明日仕事?」
「明日仕事」
「今日、おわった?」
「おわったよ」
「……ねぇ、今から外出てきて」
 返事をする前に通話は切れた。

 重い体を起こし、腕を上げる。首と肩を軽く回すとゴリゴリと音がした。なんとか立ち上がり、部屋の遮光カーテンを開けると、日の光はまだあるも、西に寄っていた。目線を地面に向けると、先ほどの電話の主が自転車に跨り、手を振っている。
 パジャマ代わりのスウェットから、適当なパーカーとジャージに履き替えて、コートを羽織り外に出た。
「寝癖」と由香子が言った。
「そりゃ、つくだろうね」
「髭」
「剃るまで待ってる?」
「別にいい」
 由香子は自転車から降りて、俺にハンドルを寄せた。
「運転、俺?」
「そうだけど」
「お前は?」
「後ろ」
「違反」
「すぐ近くだから」
 そう言いながら、俺に乗るように手をひらひらさせた。俺が自転車に跨ると、由香子が後部座席に座って、俺の腰に手を回した。寝起きと運動不足のためか、走り出しはよろめいたものの、自転車は次第に安定して、俺たちを運んだ。背中に由香子の体温を感じながら、車道脇を駆けていく。

 近くの海岸沿いまで来たとき、由香子が「ここで」と言った。言われるまま、自転車を止めて、歩道の脇に寄せた。由香子は降りると海岸を歩きはじめた。海に寄りながら、寄りすぎないように。俺もその後に続いた。
 時刻はもう16:50くらいになっていたから、沈みかける夕日が、海をオレンジ色に染めている。このあと海が夕日を飲み込む。そうしたら、夜が来て、今度は黒に染まるんだろうけど。

「今日、おわった?」由香子が聞いた。こちらを見ずに、夕日を見つめて。
「今日は終わるね」俺は答えた。同じように、夕日を見つめながら。
「そうね」由香子が呟いた。
「もう夕日だから」
「うん」
「終わるけど」
「うん」
「まあ、でも、おわらなかったかも」
「そっか」由香子が呟いた。
 ゆらゆらと色付いた波が揺れた。
「オレンジ?」俺が聞いた。
「茜?」由香子が言った。
「ああ」
「どう?」
「何?」
「景色」
「……綺麗かな」
「そう」
「ときどきね」
「ときどき」
「ときどき、綺麗」
「そっか」
 海が夕日が飲み込むまで、オレンジか、茜か、そんな色に包まれた。夕日から目を逸らすと、隣で由香子が夕日色に染まっていた。
「ときどき、綺麗」
「そっか」由香子が呟いた。

(おしまい)

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