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十二:『欠けているモノ』

「教頭先生、最近の若者にはろくな奴がいない。そうは思いませんか?」
「まあまあ。どのようなところが、そう感じるのですか?」
「やる気がないとか、変に悟っているとか、ネットの影響か分かりませんが、相手を思いやる気持ちがなかったり……」
「ふーむ……そうですね。確かに少し『欠けている』という感じはしますね」
「欠けている、ですか」
「ですが、『若者』で一括りにしてはいけませんよ。それに、そういった生徒にこそ、我々教師が手を差し伸べなくてはね」
「いやはや。さすが教頭先生。教師のかがみですなぁ。それでですね……」
「私なんかはまだまだですよ……あー……」
 私はあえて腕時計ではなく、室内の壁時計を確認する。時刻は19:00をまわっていた。「申し訳ありません。私はもうそろそろ……」
「お帰りの時間でしたか。申し訳ありません」
「いえいえ……それではお先に失礼いたします」
 荷物を持ち、職員室の外に出て一息つく。主任の大久保先生の話はキリがない。私はできるだけ早く帰宅しなければならないというのに。

 職員玄関へ向かう途中、木曜日にだけ来校しているスクールカウンセラーとすれ違った。
「おや、宇佐木先生ではないですか」
「どうも」
 彼は無愛想に軽く会釈だけをし、私の隣を通り過ぎた。
「あ、教頭先生、後ろ……」
「ひっ! な、何ですか?」
「……後ろのえりねじれていますよ」と自身のうなじを指さした。
「襟……そ、そうですか」
「何故、そんなに驚いたんです?」
 宇佐木先生は私の顔を覗き込むように、じっと見る。
「……いえ、違うことを考えていたものですから」
「そうですか」
 そう言って彼は立ち去っていった。
 見た目はいいのだが、たまに向けられる人を見透かすような瞳は、どうも好きになれそうにない。
 
 玄関を出て校庭内を見渡す。最近では日が落ちるのも早くなり、辺りは真っ暗だ。生徒もほとんど下校しており、部活で遅くなったであろう数名がちらほらと見える程度だ。しかし誰もいないよりはマシだろう。
 鞄を抱え、早歩きで電車に向かう。早くしないと、アレがきてしまう。

 ズズッ……ズズッ……。

 ──きた。
 ここ最近、私の背後を何かが付けている。引きずるような、いずっているような。そんな不快な音。振り返っても、そこには何もいない。
 私が立ち止まると、
 ズ……。
 と、音は止み、また歩き出すと、
 ズズッ……ズズッ……と再び聞こえ始める。
 私とは一定の距離を保っている。また聞こえるのは外にいる間だけで、屋内には入ってこないのだが、不気味でしょうがない。出来るだけ周りに人気ひとけがあった方がいい。それゆえ早く帰宅したいのだ。こんな暗い道なら尚更だ。

 ズズッ……ズズッ……。

 この音にも慣れたものだ。
 ……いや、待てよ。もしかしたら、私が油断するのをまっているのだとしたら……。

 ズズッ……ズズッ……。
 ズ……。
 振り向くが何もいない。
 だが、音の位置的に、あの辺り。

 そう考えた途端、尋常ではない恐怖が押し寄せた。
 人目を気にせず、私は、全速力で走り出した。駅につけばひとまず切り抜けられる。
 走る振動で、周りの景色が縦にグラグラと揺れる。額の汗が目に入り、視界がぼやける。足がもつれそうになるのをなんとか堪え、駅の入り口前まで走りきった。
 柱に手をかけて、前屈みの姿勢で肩で呼吸をする。この歳にはなんともキツい。流石に、何処かでお祓いを頼んだ方がいいのだろうか。
 ようやく息を整え、顔を上げると──。

 ──そこは駅ではなかった。

「何処だ、ここは……」
 ススキ野原が広がり、細い一本道が敷かれているが、地平線の先には、何故か夕焼け空が広がっている。周りの景色は山や森ばかりで何もない。
 ふと、自分の手をかけている柱を見ると、それは柱ではなく、あかい神社の鳥居だった。
 正面にまわり、鳥居を見ると『木兎みみずく神社』と書かれていた。
 聞いたことのない神社だ。
 鳥居の先は、上りの石階段が見える。木々に囲まれており、ここからでは境内がどうなっているのか見えない。
「いったい何がどうなっているんだ……」
 声に出すも、応えなどない。夕陽の中を鳥の群れが飛んでいた。学校を出た時は、日が沈んではずなのに、何故。

 ズズッ……ズズッ……。
 
「ひっ!」
 あの音が聞こえた。付いてきている。 
 深く考える余裕もなく、私は鳥居をくぐり、石階段を駆け上がった。
 
「こんにちは。御参拝ですか?」
 息を切らしつつ、長い階段を上がった先には神主姿の男がいた。
「宇佐木先生?」
 神主の非常に整った顔は、見たことがある。今日も退勤前に顔を合わせた。
「先生? 私はここの神主の月白といいます。月に白と書いてツキシロと読みます」
「え……はい。どうも」
 確か先生の名は『月光』だったはず。そういえば、生徒の間で双子だと話題になっていた。この人がその双子の兄弟なのだろうか。
「今日はどうされたんですか?」神主は言った。
「あっ……その、追われていて!何か見えないものに!お祓いを……!」
「なるほど。お祓いで来られたんですね」
 神主はにこりとした笑顔を見せた。どこか安心感を覚える笑みに、私も気持ちが落ち着くのを感じた。

 神主は手をかざして、階段下の方を見渡した。「はい。確かに、あなたを付けている者がいますね」
「分かるのですね」
「はい、鳥居の前に。……アレを何とかすればよろしいのですか?」
「ええ、ええ。お願いします!お代ならいくらでも結構です!」
「確か、1万円くらいになりますが、大丈夫ですか?」
「もちろんです!」
「分かりました」神主は後ろを振り向いて手を鳴らした。「木葉このはさん」
 すると境内の奥から、巫女姿の若い女性がやってきた。
「は、はい……お呼びでしょうか」気の弱そうな静かな声だった。
「お祓いです。準備してくれますか?」
「お祓いですか……その、よく確認した方が──」
 巫女は心配そうな顔をしていたが、私の顔を見た途端、一瞬顔を強張こわばらせ、その後、無表情になった。
「……いえ、何でもありません。分かりました。準備をしましょう」
 
 二人に連れられて、私は正方形の和室へと案内された。
「ここでお待ちください。座って、目を閉じて、あの音が聞こえてくると思いますので、止まったら目を開けて下さい」
「は、はい……」
「おやまぁ、そんなに怯えずとも大丈夫ですよ」
 神主はにこっと笑う。その言葉と表情に安心し、言われた通りに、座ったまま目を瞑った。

 ズズッ……。

 あの音が聞こえ始めた。
 今までは決して、私が止まっているときには近づくことはなかった。それが段々と近づいてきている。

 ズズッ……ズズッ……。
 ズズッ……ズズッ……。
 ズズズズズズッ。

 いつもより早い。どんどん近づいている。
 自身の歯がカタカタとなり、体が震えているのが分かる。背中は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。
 早く、早く終わってくれ。

 ズ……。

 私の前で音がぴたりと止まる。
 音が止まったら目を開けろと言っていた。祓いは終わったということだろうか。
 私は、ゆっくりと目を開く。

「ひいっ!!」

 私の目の前にいたのは、小型犬サイズの、四つん這いをした肉の塊のような生き物だった。顔らしきものがあるが、輪郭は歪み、目や鼻が欠け落ち、皮膚はどろどろと溶け、床に滴っている。
 それが這いずりながら、私のところへ少しずつ、少しずつと近寄ってきている。

 ズズ……。

「神主さん!まだ、まだいるんですが!ば、化け物が私の目の前に!」
 そう叫ぶと化物の背後の──部屋の廊下の方から神主が姿を現した。
「おやまあ、コレはどうしたらいいでしょう?」
「は?!な、何を言って!祓ってください」
「祓う、というのにも色々あってですねえ」
「こ、こ、殺して、殺して下さい!」
「殺すというのは、完全に消す、ということでいいでしょうか?」
「そうです!何を!は、はやく!早くやって下さい!」
「はい。分かりました」
 神主はそう答えたあと、何の躊躇ちゅうちょもなく、化け物を押しつぶすかのように、木の棒のような物で何度も貫いた。
 化け物は悲痛な叫び声を発して、ぐちゃり、ぐちゃりと奇妙な音を立てながら縮んでいき、やがて消えた。
「言われたモノは、殺しましたよ。嬉しいですか?」
「はい……」
「嬉しいんですね!それは良かった!それなら、私も嬉しいです!」
 神主はにこりと笑みを見せた。
 呆然とし、頭が働かない。だが、私を追う化物はいなくなった。そのことは理解できた。

 お祓いの代金を支払い、私は帰るために石階段の前へ向かった。
「まさかあんな化物が憑いていたとは……」
「これで、あなたは安心なんですね」
「ええ。おかげさまで」
 神主は変わらず、にこにことした表情を向ける。目も口も笑った心からの笑顔だ。うちの宇佐木先生もこのくらい愛想が良ければ、私が“可愛がって”あげてもいいくらいなのだが。
 神主と巫女は階段前まで私に付き添うと、「それではお気をつけて」と告げた。
「はい。本当にありがとうございます」
 階段を下ろうとしたとき、ずっと暗い表情で黙っていた巫女が声をかけてきた。
「あの……心当たりはありませんか?」
「心当たり、とは?」
「付けられていた心当たりです」
「全くありませんよ」今思い出しても、あのおぞましい姿に身の毛がよだつ。
「そうですか……それでは」
 巫女はそう言ってくるりと後ろを向けた。神主は私が見えなくなるまで手を振り続けていた。

 石階段を下り終える。
 そういえば、どのように帰れば良いのか。そう考えながら、鳥居をくぐると、背後から巫女の声が聞こえた気がした。
「 欠けた人間さん、さようなら」
 その声に振り向くと、そこはいつもの最寄駅であった。真っ暗で、駅前の電灯の光だけが辺りを照らしている。腕時計を確認すると、時刻はすでに日を跨いでいた。
 夢でも見ていたのか?しかし、こんな長い時間、立ちながら眠っていたとは信じられない。
 電車も終わっており、近くのタクシー乗り場まで歩いてみるが、あの付けてくる不快な音はなくなっていた。
 やはり夢ではなく、本当に祓ってもらっていたのだろうか。
 とにかく、今日はもう帰って寝よう。尋常でない疲労感が体を支配している。今日のことは、来週の木曜日に宇佐木先生にうかがってみることにすればいい。

 次の日、まだ若干疲労が残るが出勤しなくてはならない。
 人気ひとけのない道を恐る恐る歩いてみるが、あの音はもう聞こえなくなった。気配も感じない。
 あの神社での出来事が夢か現かは分からないままだが、とにかく私は解放されたのだ。もう何かに怯え、生活する必要もない。
 これで落ち着いて、『いい教頭先生』を行うことができる。

 人の良さそうな教師を演じていると、生徒は何かと相談をしやすい。最近は相談事はカウンセラーに取られてしまっているが、それは主に心の悩みの相談だ。
 罪悪感に囚われているような悩み事は、私のようなところに皆打ち明けてくる。
 そして、以外と簡単に、生徒の“弱み”を握ることが出来る。
 せっかく女子校に赴任したのだ。楽しむとしよう。

「先生」
 背後から女子生徒の声が聞こえ、振り返ると、そこにいたのは、転校したはずの女子生徒の山本だった。
「山本……何故ここに……」
「やっと、近づけた」
「何のことだ?」
 山本は私をじっと見つめていた。
「先生……私ね、生まれたばかりの子を、殺したの……それ以来、その子の声が聞こえていた」
 山本は瞬きをせず、こちらを見ながら、虚な表情で話し続ける。
「私、怖くて神社でお祓いしてもらったの。
『私に憑かないようにしてほしい』って。
 お祓いのあと神主さんが言ってた。
『子どもはお母さんに、今、捨てられたから、お父さんのところへ行った』って……」
「…………」
「先生、そのお父さんって、誰のことか、知ってるでしょ?」
「まさか……ずっと後を付けてきていた、アレは……」
 山本はゆっくりとした足取りでこちらに近づいてくる。
「先生、いい人だと思っていたから相談したのに。なのに、あんなこと……」
「そ、それは……」
「でも私が悪いから。万引きをした私が悪いの。私の罰だと思って受け入れた。
 でも、子どもを殺すことになるなんて……絶対許さないと思った」
 山本の声は、恨みを含んだ声に変わった。
「先生を殺してやろうと思って、私、先生に会いにきた。でも、あの子、ずっと先生にすがるようにして後を付いていたの。だから、私は、先生に近づけなかった。
 でも、もう、これで、近づける」
「ま、待て……」

 逃げようと思ったが、足が竦んで動かない。力が抜けていき、ついには地面にへたりこむ。
「あの子、とても必死に、助けを求めるように泣いていた」
「く、来るな……」
「それなのに」
「頼む、許してくれ──」
「先生も、あの子を殺したのね」

 その瞬間、私の首から、激痛と、生暖かいものが滴ってきた。
 山本は狂ったような笑い声を発しながら、私に覆い被さり、私の喉元をナイフで何度も貫いた。
 私は叫び声を上げることもできず、ぐちゃり、ぐちゃり、という奇妙な音が響くのを、苦しみの中、ただ聞いているしかなかった。

「もうあの子はいない。どこにもいない。二度も殺した、私たちが。
 本当に欠けてしまった、何もかも」

 その歌のような声を最後に、私はもう、何の音も聞こえなくなった。

「目黒先生、最近の若者はたるんでいると思いませんか」
「はぁ、人によるのでは?」
「……先生は最近の若者ような冷めた考えをしますね」
「それはどうも」
「まったく……そういえば、教頭は最近の若者のことを『欠けている』と表現しておりました。さすが、現国教師です」
「誰にでも欠けたところはありますよ……それより、その教頭先生が朝から見あたりませんが」
「おや珍しい。あんなにきちんとした先生が遅刻とは」
「……ああいう人の方が、案外、大事な何かが欠けていたのかもしれませんよ」

♦︎

「木葉さん。彼の依頼した対象を、勝手にすり替えましたね」
 神主が巫女に静かに問う。
「……この子は赤ん坊です」
 巫女はそこにいる、小さな命だったものにそっと触れた。
「おや、それが何か関係があるのですか?」
「……」
「ああ、木葉さん。悲しい顔になっています。悲しいのですか?何故でしょう」
「……すり替えた擬態でも、あの人は嬉しいと言っていたので、大丈夫ではないでしょうか」
「それもそうですね!良かったです」
 そう言って手を叩いてにこりと笑った。

「月白様、この子を天に送ることは出来ますか?」
「そうすれば、木葉さんが嬉しいんですね」
「ええ、とても嬉しいです」
「分かりました」
 神主が手をかざすと、命だったものは穏やかな光を放ち、スルスルと煙のように登ってゆく。煙は白い欠けた月に吸い込まれるように、空に消えていった。
 巫女は光が消えるまで、空を見上げていた。
 来世つぎはどうか、生まれてこれますように。そう願いながら。

『欠けているモノ』終。


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