見出し画像

落語徒然草 その3 寄席の再開で思うこと

 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が解除され、休席していた寄席も再開され、落語会もぼちぼちと開催されるようになってきた。生の落語を聴く機会は増えて来たとはいえ、コロナ禍による影響は大きく、演芸界に日常が戻って来たとはまだまだ言えない。依然として、危機的な状況は続いている。
 演芸ファンとして、コロナ禍による演芸界の窮状を記録し、また、この時期に感じたことを書き残しておこうと思いたった。

 再開された寄席は、全国興行生活衛生同業組合連合会が策定した「演芸場における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」に沿った対策を講じたうえで興行を行っている。
 ガイドラインでは、三密状態を避け、感染防止のための色々な対策が要請されている。なかでも入場者数を制約することになる対策が、寄席にとっては最も辛いものとなっている。
 このガイドラインに従うと、ソーシャルディスタンスを確保させるため、座席の前後左右の間隔を空けなければならない。すると、結果的に入場者数が通常の50%以下に制限されてしまうのだ。
 それでも、大箱の寄席では、まだ百数十名の座席を確保できる。可哀そうな寄席が、池袋演芸場である。このガイドラインに従って、定員が39名となってしまったのだ。それでも、木戸銭を値上げすることもなく、昼夜入れ替え無しで再開したのだ。これでは満席となっても、経営が苦しいだろうことは想像に難くない。
 東京では、七月に入ってから感染者数が一日に百名を超える日が続き、寄席に行こうという気持ちにもブレーキが掛かっている。おそらく、定員を削減したにもかかわらず、再開後に満員になったことは少ないのではないかと思う。まだまだ、寄席の窮状は続いているのだ。

 浅草演芸ホールの6月下席と7月上席に行ってきた。3ヶ月ぶりの久々の寄席訪問。
 まずは、木戸口での検温と手指消毒。中に入ると、隣の席が空くように「ここに座らないでください」と書かれた赤いテープが貼られた座席。互い違いに市松模様のように前後左右一席ずつ空けて座らせる配置になっている。座席が全部埋まっても、半数だ。いつもより仲入りの回数も多いし、その際には非常口も全部開放しての換気を行っている。まさにガイドランに沿った対策。普段の寄席ではないことを痛感させられる。

 生の落語を聴けるのは寄席だけではない。規模の大小を問わず劇場やホール、貸し会場で落語会が行われている。これら落語会も徐々に再開されてきた。しかし、大規模な会場でのホール落語会も、大変なことになっている。
 人気者の落語家は、大規模な劇場で落語会を開催している。人気者なので、大規模な劇場にもかかわらず、公演日の数ヶ月前に発売されたチケットが完売という状況も珍しくない。
 自粛期間は会場の閉鎖によって、ホール落語会は中止を余儀なくされてきた。しかし、緊急事態宣言が解除され、寄席や演芸の催しが徐々に再開されている中で、この人気者の大規模会場でのホール落語会が開催できないという、ピンチの状態は解消されたわけではないのだ。

 この大規模な劇場も、寄席同様に感染症対策のために利用方法の制限が課せられている。全国公立文化施設協会が策定した「劇場、音楽堂等における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」があり、劇場、音楽堂等における新型コロナウイルス感染拡大予防対策として遵守すべき事項が示されていて、その対策に従って利用しなければならない。そして、ここでも、ソーシャルディスタンスを確保するための制約が、ホール落語会開催にとっては障害となっている。

 人気者のホール落語会であっても、以前のように満席での開催は許されない。しかし、人気者のホール落語会は、このコロナ禍で興行を自粛する以前にチケットが完売している場合もあるので、自粛要請が解除され、会場が利用できるようになっても、満員状態のままで開催するわけにはいかないのだ。
 人気者であれば、かなり先の日程のチケットまでが完売している。完売までいかなくても、8割が売れていれば、自由席であっても、そのまま続行することが出来ないのだ。このように、いまだに多くのホール落語会は中止を余儀なくされている。

 仕切り直して開催しようとなれば、一旦、チケットを払い戻して、改めて日程を決めて、定員を減らしたうえでチケットを販売しなければならない。
 しかし、単純に考えても、売上が定員を減らした分だけマイナスになるわけだから、会場費などの経費が変わらなければ、収益は大幅に減ってしまうことになる。
 なので、多少でもチケットの値段を上げたいところ。大規模会場でも、キャパが半数以下になるのだ。とは言っても、チケットの値段をいきなり倍にすることも難しいだろう。
 人気があってファンが多い落語会なら、チケットの値段が倍になっても売り上げは落ちないかもしれない。しかし、落語会の今までの相場感から、主催者側も大幅な値上げには抵抗があると思われる。仮に値段据え置きで完売しても、半数以下の観客数では、開催しても赤字になってしまう恐れもあるのだ。これは主催者側に突き付けられた大問題なのだ。

 観客も入場の際の検温や手指消毒、マスク着用などで協力している。我々観客の側も、感染症対策に協力しつつ、演芸を楽しんでいかねばならない。この状況はしばらく続くだろう。携帯電話の電源を切るとか、客席でオシャベリしないなど、客席での鑑賞マナーがある。このコロナ禍の下での再開後は、新しい生活習慣に基づく感染症対策マナーという新しいマナーが加わったのだ。これも、コロナ禍が終息するまで、しばらくの辛抱。

 コロナ禍による演芸界の危機的状況において、我々演芸ファンは、何が出来るだろう。
 観客として演芸を楽しませてもらっている恩返しとして、また、大衆芸能は我々庶民が守っていくという気概を持って、落語家や寄席、主催者を支援するために、我々が出来ることは何だろう。
 つれづれ考える。そして出た結論。観客として、出来ることは限られている。それは、今までどおり、寄席や落語会に通い続けるということだ。
 ソーシャルディスタンスや新しい生活習慣による客席での違和感があろうとも、多少の木戸銭の値上げがあろうとも、それらに不平不満を言うことなく、感染症対策も取りつつ会場に足を運び続けること。そして、こんな状況にある中でも、高座から笑いを提供し続けている落語家に対して、客席から声援を送ること。これが、我々演芸ファンが出来ることであり、演芸界全体に対する持続化給付金になるのだ。
 寄席が再開され、嬉しさの反面、不安も感じるなかで、そんなこんなを考えている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?