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みんな、生き切るために生まれてきた。セクマイも、その他の人だって。

わたしは自分が「Aセク」という部類に属しているらしいと意識してから、はじめてLGBTとかセクシュアルマイノリティとかの言葉を知り、理解を深めた口です。
なにしろそれまではそもそも自分が何かの少数派に入っているなどとは夢にも思っていませんでした。

以前からどんな分野においても、わりあい少数の方とか弱いチームなんかを応援してしまう傾向はありました。
「人、数少ないのによくやっているな。頑張れ!」「一点でもいいから返せるようにがんばれー」とか。
どこか肩入れしたくなるような。

でも、自分自身が少数の側にいるなんて衝撃でした。
それも、セクシュアリティの部分で少数派に属しているとは本当に驚きでした。

それまでも、性的なことに対して、
なぜ? なんでそうなる?
ということは、友人とや付き合った人との間で思ったことはありましたが、
実際に自分の性的指向に、どうもいわゆるマイノリティ側の一名称「アセクシュアル」がぴったり合うみたい! と知った時は衝撃で、ちょっと時間が止まった感がありました。

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★セクシャルマイノリティの自殺率が高いと知って

わたしは元々、自殺は絶対にいけないと考えています。
自分自身が考えたことも、これまで一度たりともありません。もうその時点でこの時代、マイノリティなのかもしれませんね。
というのも、世間的には自殺率、未遂率、一度でも考えたことがあるという人の割合は相当高いからです。

でもわたしには、ずっと将来的な夢があってそれを支えに頑張ってきたところがあったり、
なによりこれから先の未来を自分の目で見てみたいという欲求があるのです。
それに、生まれてきたからには人には使命のようなものがあり、宇宙における自分の役割を生きている間に果たさなければならないという想いもあります。

だから死んでいる場合ではないのです。
問題にぶち当たっても、真正面から取り合わず、うまく脇道を通ってトコトコここまで歩いてきたのかもしれません。

こういう人ってたくさんいます。
上手にかわして、自分に都合のいいところで生きるのです。
合わない環境の中で、自分の首を絞めてまで生きていくのはつらいです。
そんなところからは逃げてしまえばいいんです。

のらりくらりとやってきて、結局ただの一度も自ら命を縮めるという発想が浮かばない暮らしをしてきました。結構、幸せ者だと思います。

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でも、その一方で自ら命を絶ちたいと願う人も毎年必ずいて、日本の自殺者数はピークの2003年には約3万4000人ほど(警察庁の統計より)もいました。
2010年以降は減少が続き2019年に2万人ほどにまで減りましたが、未遂に終わったとか、潜在的な自殺希望者を考えればこの何倍にもなるでしょう。

特筆すべきは、LGBTに属する若年層の自殺率が高いことです。

●周囲に理解されにくい。
●いじめられる。
●これからの生き方のローモデルが極端に少なく将来設計が立てにくい。

これらのことも問題としてあるでしょう。

周囲の大人を見て子供は育ちます。
その善きモデル、明るい未来を思い描ける目標やサンプルが実感として得られなければ、不安にさいなまれるのも当然かと思います。
将来を悲観して自己否定的になってしまうでしょう。

人はだれしも経験を積む前の、社会に出る前の希望や期待を持つと同時に、それと同じくらい不安や恐れを持っています。
学校で学んでいるうちよりも、社会に出てどういう仕事に就くのか、どんな生き方をするのか、どんな生活を営んでいくのか。

これから先の長い人生をある程度は設計したいし、だいたいの方向性くらいは持っていたい。

そんな、社会に出る大事な時期に、誰もが抱える不安以上の不安定さを上乗せされているセクシュアルマイノリティの子供たちと、その他の子供たちの間にはスタートラインに立つところから不平等が生じています。

同じスタートラインに立つことさえままならない状況に立たされるセクマイの立場って、どういうことだろうと思うわけです。
人間みな平等と学校では教えるくせに、その学校でさえ不平等を突き付けられる。
そんな基礎的なところで悩ませるなよ、と思います。

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今様々なメディアや番組でセクシュアリティにかかわる問題が取り上げられています。
SNSで、当事者からの発信も多くなりました。
少数派が意見を言うと、マジョリティの中の完全に自分とか関係がないと考える一部の人は心無い反論をしたりします。

でも、それらは基本、全部無視していいと思います。スルーして正解だと思います。
多数の側には理解できないことがあります。まったく賛同できない他人の意見なんて、誰しもちょっと面倒くさいと思う。

でも。
たとえ理解を示してくれない人がいても、マイノリティは声を上げなければならないのです。
少数の側に属して生まれてきたこと、それが社会の中でまだ地位を得られていないと感じるならば、発信し続けるしかない。
そして権利を獲得していくしかないと思います。

誰にも人間として生きる権利はあるけれど、自分が住みやすく生きる権利は闘って獲得しなければならない
最初から、全部がそろっているわけではないんですよね。
それは人間だれしも。


カミングアウトした人たちが、セクマイの生き方や楽しみ方、日々の生活を公開してくれて、そういうのを見て安心したり、生きる希望が湧いている人も少なくないと思います。
決して一人ではないし、案外同じようなタイプの人、それも楽しく暮らしている人がいると意識を変えた人もいると思います。


今いる場所がすべてではなく、世界は広いのです。自分が受け入れられる場所、居心地のいい環境は必ずあります

今年は特にコロナの影響で女性の自殺率が高いとききます。
若年層でも増加しています。
どうか目の前の環境がすべて、そして同じ状態が永遠に続くわけではないことを知ってほしいです。
その先の未来で楽しいことに出会えるかもしれないのに、ここで生の歩みを止めてしまうのは、絶対にもったいないし損をしていると思います。
人は最期まで生きぬくために生まれてきたのだと、自分で進む先のレールを外すために生まれてきたわけではないと、わたしは信じています。


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