見出し画像

結局のところ世界平和を求めている。

突然ですが、わたしの夢は「世界平和」です。

夢というか、世界がどうなればいいいかと考えた先に思いつくのが、世界の平和ということです。

 その途中にはもちろん小さな夢はいくつもありますが、空みたいに大きくどんと上にある最終目標がそれということです。

世の中が今よりもっと平和になるために、そこから下に枝葉が分かれて、その先で世界平和のための個別の活動を営むようなイメージです。

 もちろんここには宗教的な意味などありません。

さらに別に特殊なことでもありません。大勢の人が口にしていることでもあります。

 むしろ大方の人が、自分の人生を思案したとき、最終的にはここに行きつくのではないかとさえ、わたしは思っています。

 わたしたち、生きている者一人ひとりが幸福、たとえ他人からどう思われようと自分だけが良しとする成功体験を得たならば、それは結果的に世界中が平和になることにつながるのです。

 

 世界平和などと、最初から胡散臭いと思われたかもしれませんが、要するに自分の生への満足を得て自分の生をまっとうすることが、人間にとって最大の幸福なのです。

 わたしは、自分が持っている資質を出し切り、それを燃やし尽くし、魂を燃焼させ尽くすことこそが人間にとって一番大事なことだと思っています。

 

人生100年時代と言われています。

間違いなくそういう世の中にシフトしていくはずですが、魂の高みを目指すという意味では100年生きたから幸福なわけではありません。立派なわけではないのです。

むやみに長く生きる人生より、充実した太い人生の方が素晴らしいということもあります。

 ちなみに魂には老いも若きも、男も女もありません

 よく言われることに、わたしたちは天から役割を与えられているというものがあります。一人一役みたいに、それは本当にあります。

わたしたち人間の生というのは天の一瞬のまばたきに過ぎないとも言われます。
長い宇宙の歴史から見れば、ほんの、あまりに短い瞬時のまばたきです。

こう考えると、なんて人間というものはちっぽけなものなのかと思います。
ものすごく短い時間の間に、他人の目を気にしたり、見栄を張ったり、つまらない隣人とのいざこざにいかに多くの時間を割いているのか。

 

そんな考えを知ってから、わたしには自分の有限の時間がもったいなくて、自分の成長にとって有益でないものはすべて取り除くことにしています

 

わたしたちは限られた人生の中で、生まれた時に天から授けられた、与えられた、貸してもらった資質とか才能とか能力とか素質とか持ち分とか、
言い方は人それぞれ気に入ったものでいいのですが、
その資質に目覚め、それらを引き出し尽くす、表現し尽くすことが生をまっとうする上での大仕事になります。

燃え尽きて、体は最後には灰になりますが、魂だけはきちんと巡回していきます。

 

消化不良の魂は、次の新しい天からの借り物の体に入る時までに時間がかかります。
だから自殺はいけません。


宇宙とか天というものは、それらを進歩させるためにわたしたち人間にチャンスを与えて命を吹き込んでいるわけです。
だから人間が自分の持ち分をしっかり果たして宇宙がそれを「おお、よくやったぞ」と満足すれば、観音様に呼ばれるみたいに自然と生を終えてもいいという許しを得るのです。それが自分の人生を生き切ったという証です。

 

形ある肉体は燃えて灰になりますが、魂はその人の成しえたレベルのものを含んで転生します。

 

だから大切なのは自己の持ち分を出し尽くすこと。表現し尽くすこと


資質を開花させる

発見と創造

元からあるものの発見、発掘、深く掘る

 

 そうやって、わたしたち一人一人が自分にできる人生における個別の仕事をしっかりとこなし、そしてその人数が多ければ多いほど、わたしたちを生んでくれた天とか宇宙とか神とか呼ばれるものは前進していく。
その先に、世界の平和はあると思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?