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いじめはなくならない。ではどうしたらいいか。自分の心構えをかえるだけ。

夏休みが終わってまた学校が始まる頃、決まっていじめが原因で登校拒否や若年層による自殺問題が沸き上がります。

いじめは根絶した方がいいし、それはないにこしたことはありません。

だけど、いじめはなくなりません。

人間、2人以上いればそのどちらかの優越を意識します。

人と比較し、弱いものを下に見て自分の優越を確認したいと考える人間がこの世からいなくなることはありません。誰かの陰口をたたき、ミスをすればその人のせいする、人間の小さい人が多いです。
世の中、君子ばかりではないのです。

多様性が声高に言われていますが、様々なタイプの人がその生き方を主張することを良しとするならば、それを受け入れる側の考え方、受け止め方ももっと多様でなければなりません。

傷つけ傷つけられるのは大人であっても嫌なことですが、学校でも職場でも残念ながら、それはどんなところにも存在します。

よく言われるように、他人を、そのいじめる側の人間を(特にいじめられている側の人間は)変えることはできません。
近づくのも怖いし、不快な思いをするし。わたしも同じ職場に近づきたくない人がいます。いじめられているわけではないけれど、要は馬が合わないのでしょう。

ではどうするか。自分の心構えを変えるしかないのです。

中学生の頃、クラスの何名かがわたしのことを無視しようと企んだらしく、実際ある日突然無視されました。それまで普通に話していたのにこの反応のなさは何だろう? どうしたのかな、くらいにしか最初は思いませんでした。
でも次第にわたしは自分が無視されていることに気づいたのです。

で、どう切り替えたか。

この人たちがいなくても、自分の学校生活、あるいは人生においてなんら支障がない。
それならば、こちらが無視してやると設定し直せばいいじゃないか。

そして実際、こちらからもしゃべってやりませんでした。

そうしたらその子たちは、あれ? と思ったみたいでした。だって無視されてその様子を見て反応を楽しむ相手が、まったく自分たちに関わってこないわけですから。

そのうちわたしを無視するゲームをやめたらしかったのですが、わたしはそれ以降も彼女たちとは口もききませんでした。
もう誰もわたしを無視しなかったし、逆に物事に動じない人としてクラスメイトには映ったようでした。

わたしはその時の経験から、何かストレスを感じたり嫌な対応をされた時には、相手の反応が良くなることを期待するより自分の対応を変えることにしています。

だって、他人は変わらないから。
こちらの意志で変えられるものじゃないから。

そんなすれ違うことが前提の人間関係で悩む時間がもったいないです。
本人同士で話し合い解決策を模索するのも大事ですが、そんなことほとんどの場合無理なわけです。

一番大切にしなければならない、もっとも付き合いの長くなる相手が自分自身なのですから、必要以上にいじめられ続けることから回避する方法を実践した方がいいと思います。

身も心も、傷つかなくていいところで傷つけないように。

とにかく自分を大切に。

誰よりも何よりも大切にしなければならないのは、間違いなく自分自身ですから。





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