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生き方

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昔から正しいとされてきた生き方が、いつの時代も正しいわけではない。 もっと自分が喜ぶ選択を、日々わがままにしていきたい。
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#雑感

結局のところ世界平和を求めている。

突然ですが、わたしの夢は「世界平和」です。 夢というか、世界がどうなればいいいかと考えた先に思いつくのが、世界の平和ということです。  その途中にはもちろん小さな夢はいくつもありますが、空みたいに大きくどんと上にある最終目標がそれということです。 世の中が今よりもっと平和になるために、そこから下に枝葉が分かれて、その先で世界平和のための個別の活動を営むようなイメージです。  もちろんここには宗教的な意味などありません。 さらに別に特殊なことでもありません。大勢の人が

人のことってそんなに気になるのかな? もっと自分を大事にしてやった方がいいと思うのだけれど。

わたしたちが住む世界は、物事の受け止め方で生きやすくも生きにくくもなる。 そして誰を主体にして考えるかでも。 自分以外の大部分で、環境、周囲の人々との関係の中で人間は生きているのだから、 彼らの反応を一つ一つ自分にとって居心地いいものに改善してもらうのは不可能なこと。 たとえ、相手が自分にとって邪魔な存在だと思っても、それで相手が目の前から消え去ってくれるわけではない。 第一それならば逆も言えるわけで、誰かにとってあなたは邪魔な存在になっていることでしょう。 自分だけは誰

その環境から逃げれば解消されることが多い。もっと自己本位でいいのでは?

逃げて、よけて、避けて。 そんな感じでここまできたから、ストレスらしいストレスにさらされたことがありません。 軽度のHSPというものに属しているかもしれないし、セクマイだろうし、仕事と家事と育児でてんてこまいだし、夕飯の献立が決まっていないと午後の仕事が手につかないし、近所の夫婦喧嘩は絶えないし、毎日なにやかやと起こります。 まあ、でもそんなことはどうでもよくて、わりあいクリアーできる話で、 要は体や心にストレスを感じないように、 余計な傷をつけないようにするにはどうす

いじめはなくならない。ではどうしたらいいか。自分の心構えをかえるだけ。

夏休みが終わってまた学校が始まる頃、決まっていじめが原因で登校拒否や若年層による自殺問題が沸き上がります。 いじめは根絶した方がいいし、それはないにこしたことはありません。 だけど、いじめはなくなりません。 人間、2人以上いればそのどちらかの優越を意識します。 人と比較し、弱いものを下に見て自分の優越を確認したいと考える人間がこの世からいなくなることはありません。誰かの陰口をたたき、ミスをすればその人のせいする、人間の小さい人が多いです。 世の中、君子ばかりではないの

【日々雑感】『君はしっかり生きぬいたんだ』 Kくんのこと。

人間はいつかは死ぬ。人は必ず、死ぬ。 長く生きるか短い時間しか生きられないか、そんなことは分からないけれど、死ぬのだけは確定した事実だ。 だから人間は、どう生きるかということがとても重要になる。 いかに生きるか。 大切なのは、生きている人の記憶にどう留まれるか。 どれだけ人を励ましたり勇気づけられるか。 人の心に、身体に、明日への希望を刻むことが出来るかということ。 それが生きている者の仕事なのかもしれないな、 なんて考えたりもする。 どのような分野で、場所で人に感動

サザエさんから自分の人生設計を見直してみた。

小1の息子が毎週日曜日に「サザエさん」を見ています。 大人になってから見ることもなくなっていたので、子供が大笑いしているとわたしも「なにごとか?」とテレビを覗いてしまいます。   息子は、やはり自分と同じく小学生の男の子である「カツオ」がなにかやらかすと大喜びな様子。 だけど、「カツオとワカメとタラちゃんは三兄弟じゃないんだよ」と教えると、分かってはいるものの、タラちゃんの「甥」という位置づけが難しいようで。。。(*^▽^*) 1 磯野家の年齢設定  それはそうと、

女性が「選ばれる側」である必要はない

なぜか「女性は他人から(男性から)選ばれることが幸せ」という図がある。 「選ばれる」という受け身な状態に女性が置かれてきた社会がずっとあった。 それは経済力がある男性が、共に生きていく相手というよりも、育児や身の回りの世話をしていく相手としてふさわしい女性をチョイスするという意味でもある。 だから女性は結婚後に苦労しない生活を手にするために、経済力がある男性の目にかなわなければならない。適度な性格の一致や、好みの容姿という条件はあるにせよ。 そうしなければ幸せになれない

【日々雑感】 思い立ったその時に、想いを伝える。

わたしたちは相手の不在を確認した後で、ようやく感謝や和解の言葉を口にする。 すべてが終わってから伝えても仕方がないことが世の中には多くある。時期を逃すと一生言えないこともある。 引っ越しした後でそれまで共に過ごしてきた友人に、こちらでの様子とこれまでの感謝を伝えようと手紙を書いたが、何かの理由でポストに投函される機会を失くしてしまった。 整頓した小タンスの引き出しの中から偶然それをみつけたものの、何年も経た現在、その手紙を投函してももう遅いのである。 投函すべき時は、