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女性が「選ばれる側」である必要はない

なぜか「女性は他人から(男性から)選ばれることが幸せ」という図がある。

「選ばれる」という受け身な状態に女性が置かれてきた社会がずっとあった。

それは経済力がある男性が、共に生きていく相手というよりも、育児や身の回りの世話をしていく相手としてふさわしい女性をチョイスするという意味でもある。

だから女性は結婚後に苦労しない生活を手にするために、経済力がある男性の目にかなわなければならない。適度な性格の一致や、好みの容姿という条件はあるにせよ。
そうしなければ幸せになれないという思いがあった。

そんなわけで、親もこぞって女の子らしく(そうすれば男の子にモテるから)、料理や掃除といった家事全般ができるようにしつけてきた。

今でもその傾向はある。

男の子と一緒になって駆け回っていたり、足を広げて座っていたりすると「やめなさい」と注意される。

男の子が大声でふざけて遊びまわっていても、女の子は女の子という理由だけで「みっともないからやめなさい」と言われる。「女の子らしくしなさい」と注意される。

注意するなら男女どちらにもすればいいのに。

「お姉ちゃんはだめだけど、弟はやっていい」

「お兄ちゃんは好きなことをさせてもらっているのに、妹のわたしはお母さんの手伝いをさせられる」

「男の子なんだから泣くなと言われる」

※そう。これは「男の子らしさ」を過度に要求される男の子にもあてはまる。男女平等という話で言えば。

家庭内のしつけと称したささいな親の固定観念で、子供の自由を奪っている。

こうしたことの積み重ねで、男は強くあらねばならないし、女はおしとやかに男のサポート役に徹しなければならないと刷り込まれてきた。

でもこんなことはそろそろやめにしなければならない。

もう2020年も終わりなのだ。

もちろんとっくに新しい男女の姿、あるいは性差のない一個人としての歩みを進めている若者はたくさんいる。

以前ほど男女の意識格差はなくなってきていると思う人もいるかもしれない。

ただ、まだまだ親世代は固定観念が強く、そこに引きずられたまま本来の自分を発揮できずにいる人も多い。


生涯未婚率は年々増加傾向にある。

仕事に没頭するあまり婚期を逃した人もいれば、いい出会いがなく未婚を貫いている人もいる。

あるいは、経済的理由で結婚に踏み切れない人や、身内の介護等に明け暮れて未婚のままという人もいる。

かと思えば、自分自身に与えられた有限な時間を自身のために使い切るために、独身を選び取っている人もいる。

第三者が、誰も選ばずに過ごしてきた人に対して、
「誰にも選んでもらえなかった」という受動形でみるのは見当はずれなこともあるので注意が必要と思う。


わたしたちは自分の人生を選ぶために生まれてきた。
誰かに選ばれるために生きているわけではない。

特に女性は、男性よりも結婚によって環境や仕事と家庭の比重が変わる可能性が高い。(それもおかしな話なのだけれど)
人生における大きな節目になることは確かだ。

でも、だからこそ相手に選ばれるための自分磨きではなく、
本来の自分が持って生まれた素質とか資質を活かして自身を輝かせるために磨きをかけていけばいい。

その中で、同等の立場で相手に選ばせてやるのであれば、そこは選ばれる側でもいいと思う。

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