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命をいただく~幼き日のヤマメの塩焼き~

 一般的に、乳幼児の舌にある味蕾の数は大人よりはるかに多く、味覚が敏感だと言われています。

 私もまた小さい子供の頃、初めて出会う食材に慣れるのにてこずったのか、嫌いな食べ物が非常に多かった。特に野菜と魚。感覚が鋭く、まだ味を脳で理解する経験が浅い舌にとって、ピーマンのえぐい香りと苦み、人参から漂う土の匂い、マグロの血なまぐささなど、食材の味と香りのインパクトが強く、どうしても箸が進まないことが多々ありました。

 そんな私に、母は野菜を細かく刻んで他の食材に紛れるように工夫してくれました。人参やピーマンをみじん切りにし、鶏ひき肉と合わせて炒め甘辛く味付けした鶏そぼろを、手巻き寿司のように自分でレタスに包んで食べるようにすれば、パクパク食が進んだ覚えがあります。苦手な野菜が入っていても、自分の手で巻くという体験が楽しくて食べられたのでしょう。
 一方父は、あちこちに私や母を連れて遠出し、普段スーパーでは手に入らないような新鮮な物を食べさせてくれました。マグロが苦手だったのに、父に連れられて行った浜辺の料理店で中落ちのおいしさに気付き、両手でむしゃむしゃ貪ったのは今でも語り草になっています。
 そうやって父母が試してくれた中でも強烈な体験だったのが、小学校に上がるか上がらないかの頃に出会ったヤマメの塩焼きです。

 丹沢の渓流に近い古民家料理店だったように思います。三人で囲炉裏を囲んでいたところ、供されたザルには生のヤマメが乗っていました。まだ生きているのに串刺しにされた上に塩を振られ、苦しそうにパクパク喘いでいる。ただでさえ丸い目を一層ひんむき、罪人のように串刺しにされ、それでもなお運命に抵抗しようと悶えている。傷口にももちろん塩は沁みているだろう。そんなヤマメを貫く串の一端を囲炉裏の灰に突き刺して、遠火で焼いていく。断末魔の声にならぬ声が聞こえるようでした。幼い私の目にはその光景が惨たらしく映り、目を背けてついには泣き出してしまいました。

 あまりにかわいそう。

 そうやってわんわん泣いているうちに、いつしか魚の焼ける香ばしい匂いが漂い始め、泣きじゃくって疲れ果てたところに漂ってきたその匂いは、直接胃袋に食べ頃だと訴えかけてきました。
 そうなったらもはやヤマメはかわいそうなお魚さんではなく、おいしそうな食べ物にすっかり変わって見えてくる。串を手渡されるや、一心不乱にヤマメにかぶりつきました。

 この時痛烈に、私は命を食べている、そしてどんなに頭であれこれ考えても私は動物に過ぎないことをはっきりと自覚しました。

 どんなに無残でも、動物である以上命を食べて生きるという業から逃れることはできない。
 それならせめて、いただく命を大切に思いたい。

 ヤマメの塩焼きを境に一気に苦手な食べ物がなくなった……訳ではないですが、食べることの本能的な喜びに目覚め、食べることが無性に好きな子になりました。
 様々な工夫をして食事の大切さ、そして生きるために無数の命を食べていることを教えてくれた両親に心からありがとうと言いたいです。

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これは鮎の塩焼き。ちなみにトップ画は岐阜県郡上八幡にて。吉田川だったかな。吉田川も鮎が獲れます。ヤマメの塩焼きと最近出会わない…。

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