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桜あれこれ

目覚めたばかりの桜が好きだ。
お名前は忘れてしまったが、ある写真家が、桜は咲く直前に樹全体が真っ赤になる、と燃えるような樹の写真を撮られていた。また、草木染をされる方は、桜染めをするときは、開花直前の樹皮を使うと言っておられた。
そんな話を聞いてから、幸い家の近くには桜並木があるので、咲く前の桜をなるべく注意深く観察するようになった。花芽が動き出してその覆っていた硬い殻を落とし、淡い色の柔らかな花びらをのぞかせるまでの、力強い色。今では、春が来たぞというエネルギーを、その姿から最も強く感じ取る。
桜以外の木々でも、動き出すその時の色、冬の間溜め込んでいた何かがぎゅうと押し出されてくる感じを見るのがとても楽しみになった。

紅まとう 桜樹に力漲りて

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雨の日の桜もいい。
桜が咲いている間に、必ず一度は雨が降る。早目に冷たい雨が降れば、かえって日持ちする。散らせる雨は恨めしい。単に人が少ない(そして、我が天敵、檜花粉も少ない)からということもあるが、雨の日に桜の花の下を散歩するのが好きだ。花を見上げれば空に溶けそうな色をしている。そして、幹がなんともしっとり艶っぽい色になる。ただの茶色じゃない、赤を含んだ深いこげ茶だ。晴天の日の乾いた幹では、この赤みを感じにくい。
大昔、まだフィルムで撮るのが当たり前だった頃、カメラの得意な先輩が言っていた。桜を撮るのは難しい。花が下を向いているから、逆光になるんだ。だから、桜を(接写で)撮るときはちょっと曇っているくらいでいいんだよね、と。それまで気にしたこともなかった。そうか、下向きにも花が付くから、桜の下でお花見ができるのだ。
そしてまた別の人(その人はプロ)がつぶやいたことも印象に残っている。(私としては、すごく綺麗だと思った風景写真、桜の大木全体を収めた写真を見て)ここから、どう切り取っていくか、だね、と。
綺麗だなと思うと、そう思った場所から、そう思った時に目に入ったように、そのまま撮っておきたくなる。それは、自分用の記録としては良い。しかし、見せるとなると違うのだ。バエル、なんて言葉より、ずっとずっと前に聞いた話、当時はふうん、と思っただけだが、最近、特に俳句を作ってみようとすると時々思い出す。

曇天に 溶け入る桜花 雫落つ

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散る桜のその後も。
桜は、開いた空間へと伸びて、その重さに傾いでいく。枝が垂れるというか、いつかメリメリっと幹が裂けて落ちてしまうのじゃないかという斜めっぷりになる。どーんと突っ立っている大木もいいが、イナバウアーばりに川の岸からぐいっと乗り出してくる様が好きだ。それが水面に映ると、ぐるりと桜色、ゴージャスな画になる。我が家は川のすぐそばにあって、まさにそんな風景を日々楽しむことができる。川の途中に飛び石があり、それ自体は、四角いコンクリートで全く趣のないものだが、その上に立つと、桜にすっぽりと覆われ、自分が画の中にいるような感覚になる。散る時には、足元に落ちるよりもさらに花びらの飛距離が伸びて、花吹雪が広範囲に流れる。これもまた夢のような風景を描く。
しかし、花びらが川に落ちると、かたまってざわざわと流れていくことになる。ゴミが流れていくような感覚で、あまり見たくない気がしていた。そこへたまたま花筏という言葉を知った。父と步いていたときだったような気がする。川に浮いて旅する花びらにまで、名がつけられていたのか。それ以来、頭上に桜、足元に花筏、その間を花吹雪が舞う、川の周辺全てが薄ピンクに包まれるのも、また大事な瞬間になった。

散りてなお 想い運んで 花筏

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もちろん、晴天のもと、桜を見上げてお弁当を広げる王道の楽しみだって大好きだ。でも、今は散歩のみにしろ、飲食するな、と立て看板があちこちにある。早く桜の下の楽しみが戻って欲しい。上の三句は、ソメイヨシノが念頭にあるが、その後に咲く八重桜のボリューム感も好きだ。桜という同じカテゴリに入れて良いものかと思う。その理由はもう一つ、あの赤みを帯びた緑の新芽と相まって、どう見ても桜餅に見えてしまうのだ。きっと同類の和菓子職人がいたに違いない。桜餅を創作した先人に感謝しながら、もう一つの桜の下の楽しみである。

ほお緩む タワワに実る桜餅

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Space Cupに出したいなぁと思って考えてみたものの、文章のボリュームばかりが増えるので、これはいっぱい説明しないと状況が分からないってことで、つまりは、たくさんの人の集う場所に出すのはむいてないんじゃないかとふと思えてしまって、やめた。でも折角書いたし、置いとこかな。

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