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最後の言葉は、はじまりの合図

毎年、春になると思い出すことがある。
それは、N子さんのことだ。

彼女は私にとって2番目の上司だった。豪快かつ面倒見の良いひとで、みんなのお母さんのような存在だった。お昼に納豆とキムチを乗せたごはんをデスクで食べる習慣には若干辟易していたが、そんなことは今となっては些細なことだ。

私が他部署に異動してからは少し距離ができ、言葉を交わす回数は減っていった。さらに持病があったN子さんは少しずつ弱っていき、会社が今の場所に移転した頃には、すっかり姿を見せなくなっていた。


そして2010年の3月下旬。私は土曜日の当番で会社にいた。休みの予定をしっかり立てていたのにつぶれたため、少々不機嫌だった。しかし、一介のサラリーマンとしては仕事をするしかない。誰もいないオフィスで黙々と働いた。

その日のお昼くらいに、突然人が現れた。N子さんだった。デスクの荷物を整理しにきたという。その時にはもう、彼女は会社を辞めることが決まっていた。


どんな言葉をかけていいかわからず、しばらく黙ってお互い作業をしていた。彼女が夕方、帰るころになってようやく、話しかけた。いや、実際は言葉がぽろっとこぼれ出た、というのが正しい。


「私、この先やっていけるんでしょうか?」

今考えると、本当に自分のことばかり気にしていて恥ずかしい限りだが、当時は若いなりに展望が描けず不安だったのだと思う(ちなみに今も不安なことには変わりはない)。

それに対し、N子さんは言った。「あなただったら、どこででもやっていけるわよ」と。

ちなみにその後、どういう会話を交わしたか覚えていない。ただそのやり取りだけが毎年、再生される。都合が良い脳だとあきれてしまうのだが、本当にありがたいな、とも思う。
そして、その時が彼女と会った最後だった。

N子さんの訃報を聞いたのは、それから1か月も経たない4月の午後。実はその時のこともよく覚えている。なぜかというと、その日は休みを取っていたから。連絡を聞いた場所も思い出せる。大手町駅のOAZOの、地下から地上に出る長い階段の途中で電話が鳴ったのだ。

とても天気が良く、暖かい日だった。涙は出なかった。だって、その前にお別れできたから。

あれからもうすぐ10年になる。変わったことも変わらなかったこともある。このことを誰かに読んでもらえるようになったのも、数多ある変化の1つだろう。それらを大事にして歩きたい。正解がない道をゆこう。

最後の言葉は、いつだって立ち上がる勇気をくれるはじまりの言葉でもある。

ありがとう、N子さん。

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