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暗闇で輝く夢

それまでついていた照明がだんだん薄れ、やがて完全な漆黒となる。
期待がふくらみ、眼はらんらんと輝いて、何かが始まるのを待つ。

映画や、舞台が始まる時の暗転。
そこで生まれる昂揚感は、何物にも代えがたい。
もしかすると、本編よりも好きかもしれない、自分だけの時間。

そして幕が上がる。

高校3年生の9月という、受験生としてはけっこう大切なのでは?という時期。文化祭で、初めて役というものを演じた。

セリフを覚え、夏休みには何度も練習を繰り返した。演劇部でもないのに、まあよくやったと思う。みんなと共同作業で一つのものを作り上げるのは楽しかったし、いい気分転換にもなった。

それで味をしめた訳ではないが、大学でなんとなく演劇サークルの門を叩いた。学業優先の、オリジナルのみを上演するこじんまりした所に滑り込んだ。私にはそこが合っているように思えた。

夜遅くまで練習して、茶色い具ばかりのお弁当を食べた。数えきれないほど怒られた。こじゃれた店ではなく、小汚い居酒屋で飲んだ。たくさん落ち込んだ。

今はもうない部室で「ガラスの仮面」を読む。失恋も少々。初めて洋楽を聞くようになった。

そんな長くも短くもない2年間。楽しいだけだったかというと、そうでもなかったと思う。けれどだんだん記憶は摩耗し、まるで石がつるつるになっていくように、美化されていく。

先輩たちと歌舞伎町で深夜にラーメンを食べて帰った日のことを思い出す。明け方、酩酊状態で歩いていると、なぜか世界がきらきら輝いて見えて、みんな生きていて良かったおめでとうありがとう、と全てを肯定するような心持になった。

この現象についてはいろんな人が語っているから、酔っぱらった人間あるあるのひとつに数えられるかもしれない。あまり大学生らしいことをしなかった自分にとっては、貴重な経験である。

演技の上手い下手は置いておくが、一度だけ、舞台でお客さんにけっこう笑ってもらったことがある。

小規模な団体だから動員数なんてたかがしれている。けれど自分の放ったひとことやしぐさが、複数名の感情を動かしたことに驚いた。

そんなことができるんだ。誰かの力を借りれば、自分にも。それに気づけただけでも収穫だった。
それを毎日続けているたくさんのパフォーマーたちを心から尊敬する。

ある時舞台袖で、自分が出ている劇の最後のシーンを見ていた。BGMが大きなボリュームで空間を包み込む時、泣いてしまいそうになった。その日の公演が無事に終わったことにほっとする。

反省は後でいくらでもするから、今はこのテンションでいさせて。

そう暗闇でつぶやいた。

ぱっと突然辺りが明るくなり、現実に引き戻される。
どんな作品もいつかは終わるもの。
最後のお客が出て行ったら、その場所は原状回復される。
プログラムの痕跡は消えてしまう。
でもその儚さこそが、記憶に残るためには必要なのだろう。
観客の心に散っていくのだ、きっと花のように。

私の中で、今でもほんのりと輝く過去の一部分。
それはもしかすると、夢の時間だったのかもしれない。

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