嘘から考える「優しさ」
「相手を慮る」ってなんだろう。
今日から新年度ですね!早速ガイダンスで「もう大学生活の半分が終わりました」発言を頂き驚いている所です。
今年度はかなり大学が忙しくなる予定なので、忙しくなる前にくつばこでの活動を頑張りたいと思います!
そして、新年度が始まった今日はエイプリル・フール、嘘をついても許されるという日でもありますね。
今日はそんな「嘘」に関するお話。
☆嘘の種類
嘘にも色々な種類がありますよね。
明確に相手を騙そうという意志を持ってつく悪意による嘘以外にも、からかい半分で友達を引っ掛けようとする冗談、小さい子供が見え見えのドッキリを仕掛けようと一生懸命何かを隠している微笑ましいエピソードも広い意味で「嘘」に含まれるでしょう。
そして、嘘をつくには相手が必要になります。
今日は、嘘と言っても相手を傷つけるためではなく相手のことを慮った結果つく「優しい嘘」に関して、嘘をつかれた側の「騙されること」について考えてみたいと思います。
☆優しい嘘
個人的なイメージでは、「サンタさんはいるよ」という可愛らしい嘘や、ちょっと焦げたハンバーグを美味しいと食べる相手を傷つけないようにする為の嘘などが該当すると思っています。その他にも、「真実を伝えた方がダメージが大きい」という理由でつく嘘、相手を心配させまいと虚勢を張るためにつく嘘など、一口に優しい嘘と言っても様々な背景がありますよね。
せんが紹介していた『そしてバトンは渡された』では3つ目に該当するような壮大な嘘が仕掛けられていました。そして私がよく使う嘘は4つ目の「虚勢を張る為の嘘」。自己暗示的な意味も込められていますが、相手に心配させたくないという意味では相手のことを思っている、と言っても良いのかなと思ってここに入れました。
ただ、「優しい嘘」に「騙されてあげること」って本当に相手のことを考えているんでしょうか。
☆優しさってなんだろう
みうは、最近まで「虚勢に気がついた上で気がつかないふりをしてくれる人」が一緒にいて楽でしたし、気がつかないふりをしてくれることこそが優しさだと思っていました。
実際、そういう対応が嬉しい時もあっていいと思います。極端な話、小さな子供が仕掛けようとしてくるドッキリに対しては「騙されてあげた」ことが優しさになるでしょう。
ただし、「いつも騙されること」が本当の優しさなのでしょうか?高校時代、私は騙されてくれず帰宅させようとする保健室の先生が苦手でした。「大丈夫」を信じてくれない親や友達に苛立つこともありました。
でも、放っておくと倒れる人間のストッパーになろうとしてくれていたというのは、優しさがあってこそのものだったんじゃないかと今になって思うんです。
倒れた時に1人でも「大丈夫」かもしれないけど、そばにいて心配することくらいはさせてほしい。「騙されない」という形の優しさもあるということは、自分が心配する側になって初めて知ったことでした。
☆願わくば嘘をつかずにいられますように。
もちろん子供特有の空想の世界を壊さないようにするために、「サンタさんはいる」とある意味で騙し続けることや、ドッキリを成功させるために騙され続けることなど、「嘘」で成り立つエンターテイメントもあります。
でも、少なくとも日常では嘘をつかずに過ごせるようになればいいなと思います。そして、嘘をつかざるを得ない人と一緒にいる時は、必ずしも相手の希望通り騙され続けることが優しさではないこと、嘘をついたときそれを見破られることは優しさゆえであることもあるということを肝に銘じたいと思います。
☆最後に
「騙されてあげること」が何よりの優しさだと思い込んでいた私にとって、「騙されない」という形の優しさもある、ということに気がつけたのは、かなり大きな収穫でした。
賑やかなエイプリルフール、せっかくならお互い気持ちのいい嘘をつきたいですね。
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