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障害はどこにあるの?

くつばこのりこです!大学の授業を楽しく受けています。さて今日は、障害はどこにあるのかという話をしようと思います。

☆もしこの世界に階段がなかったら

もしこの世界に階段がなく、エレベーターのみがあったら、その場面において車いすユーザーは障害者になりますか?これは私が筑波大学障害科学類のラミチャネ・カマル先生にお話を聞いた際、投げかけられた質問です。どの建物にもエレベーターがあれば、車いすだからという理由で2階以上に行くことへの弊害がありません。では、どの建物にもエレベーターも階段もなかったらどうでしょう。この場合、人間離れした跳躍力がある人を除き、誰も2階以上に上がれません。つまり、全員が障害者ということになります。

☆障害は社会にある

ここで、「障害」という言葉を考えてみます。一般に「障害」とまとめられているこの言葉は学術用語として、身体や器官に異常が見られる「インペアメント」という医学的視点と、社会の中で実際に起こる「ディスアビリティ」という2点を曖昧にくっつけた言い方です。ここでの「ディスアビリティ」という考え方がとても大切で、この考え方の時「障害は社会にある」と言えます。生きやすい社会を作るためには、個人のインペアメントに関わらず、ディスアビリティはなくすことが必要です。(だから私はいつも「障害がある人」と使うときに、「社会に出たときに障害がある人」と考えて使っています。)

☆合理的配慮

ここで、社会が障害を持つ人に向けてする配慮のことを「合理的配慮」と呼ぶことも書いておきます。これは条約で使われている言葉で、「合理的配慮をしないことは差別」とも明記されています。合理的配慮は、「合理的」とあるように、寄与額の費用負担があるときなどはしなくてもいいことになっていますが、多くの人が受けているサービスを障害がある人も受けられるようにするのは、社会側の責務なのです。

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