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口話は悪者?②

昨日の続きで、聴覚障害者が喋ること・口話について考えてみます。

こんにちは!くつばこ+のせんです。大学のオリエンテーションがあって、就職やら卒論やら国家試験やらの話をされました。あれだけ話をされても、まだ4年生になる実感が湧きません、どうしましょう笑

☆前回の話

昨日のnoteでは、うたのnoteを受けて、
・コミュニケーションの定義から考える口話の問題点
・マジョリティに合わせる方が楽な時もある 「手段(口話)を持っているのなら、使った方が楽なのでは?」と思うのは自然なことなのではないか
という話をしました。

☆選ぶ権利

口話にも良いところがあるよと伝えた時、中には頑なに反対する人がいます。この時、「賛成派はすべての聴覚障害者に口話を強要する」と捉えているからなんじゃないかな、と思うことがあります。「聴覚障害者」と一言で言っても、口話が合う人もいれば、手話が合う人もいて、筆談を好む人もいる。ここは少しずつ、多くの人に理解されてきていると思います。「属性でひとくくりにしてひとつの方法を強要するのではなく、その人が選んだ方法を尊重することが大切」、これは手話を尊重する時に使われることが多いような気がしますが、口話に対しても同じですよね。

☆合わせても合わせなくてもいい

『ヤンキー君と白杖ガール』の漫画で、全盲の青野くんが「見える人に合わせないと、生きづらいことが多いからね」と言うシーンがありました。嘆いているように聞こえるかもしれませんが、「見える人に合わせて、自分が生きやすいようにしてるだよ」とも読み取れませんか?多数派に合わせる労力と、合わせないことで使う労力を天秤にかけて、負担が軽い方を選べば良いんじゃないかなと思います。「私はいつも合わせなきゃいけない」「私はいつも合わせずにいなきゃいけない」ということはなくて、その時その状況に最適な方法を選べたら良いですよね。自分が使える手段が多いことって強みになる気がします。

昨日・今日のnoteでは、口話に対して賛成派の書き方をしましたが、あくまで「喋れるなら→口話は便利」という方向で、「便利な口話を使えるために→喋れるように訓練させる」が正しいとは言えません。口話を習得するのは、聴者や中途の人が想像する以上に大変で、時間も労力もかかります。しかも、たくさん遊んでのんびりスクスク育つ幼少期に口話訓練は行われます。体験記を読むと、失うもの・得られない経験もあるそうです。そして、喋れる聴覚障害者もそれはそれで課題にぶつかることがあるので、答えのない問いだなと思います。言語獲得とコミュニケーション方法、奥が深くて難しいです‥



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