12.昴の休日 ロストハート(1/5)

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――日記 10月4日――

 今朝、爆弾が完成した。

 ネットで調べて作った私の愛しい爆弾。

 化学薬品工場のゴミ捨て場から盗んできた廃液を合成し、1リットルペットボトルに入れて、スマホを改造した起爆装置を取り付けた。このスマホの番号に電話をかけると爆発させることができる。

 試しに空き地の粗大ゴミを爆破してみた。ものすごい光景だった。

 同じものをもう一個作ってある。これがあればみんなうまく行く。イベントの日が待ち遠しい……


* * *


「ドブネズミ」

 藤丸昴が声をかけると、その少女はスマートフォンから顔を上げた。

「ドブネズミさんでしょ?」

 昴は衛生マスクに指を引っかけて下にずらし、少女に向かって繰り返した。

 少女は明らかに動揺しており、おどおどと周囲を見回してから、視線を昴に戻した。

「えっと……?」

 昴は嬉しい驚きに目を見開きながら、自分の胸に手を当てて言った。

「私! すば子!」

 数秒の後、少女は小さく驚きの声を上げた。

「あっ……! ああ!」

 ここは天外港近くの大型ショッピングモール、吊子去《つりこざり》モール。大変な人出で賑わう中、イベント会場前には長蛇の列が出来ていた。

 今日は週刊少年ボンドで連載中の人気コミック、『ライオットボーイ』の公式ファンブック発売イベントがあるのだ。開始時間まであと三十分ほどある。

 昴は列の真ん中あたりにいて、後ろに並んだ少女――〝ドブネズミ〟に振り返っている。ドブネズミとはこの少女のSNSのアカウント名だ。昴は〝すば子〟。

 二人はフォローフォロワーの関係で、特に深い交流があったわけではないが、ドブネズミが描いた『ライオットボーイ』のイラストに昴は熱心に「いいね」を押していた。

 ドブネズミは動揺を隠せないまま昴に言った。

「あの……何で私がそうだって?」

「だって、ホラ」

 昴は自分のスマートフォンをドブネズミに見せた。SNSのドブネズミのアカウントに、たった今投稿されたツイートが表示されている。

 〝来たよ〟というつぶやきと、目の前に並んでいる人の列の写真だ。写真には昴の後頭部も写っていた。タイムラインを眺めていた昴は、これが真後ろから撮られたものだとすぐわかったのだ。

 二人は同い年だが、光と影のように対照的だった。昴は髪をアップにして後ろにまとめた、目元のきりっとした美少女だ。ボーイッシュな服装で、立ち姿がファッション雑誌の表紙のように見栄えしている。

 一方、ドブネズミはクシャクシャの癖毛で、地味なスカート姿だ。常に人目を避けるように背を丸め、目を伏せがちにしている。学校の教師にすらろくに名前も覚えてもらえないようなタイプだ。

 昴はドブネズミに興味津々といった様子で目を輝かせながら言った。

「私、一人なんだけど。ドブネズミさんも?」

「う、うへぁ……」

 ドブネズミはトートバッグをぎゅっと抱き締め、唇を震わせた。SNSではやたらに饒舌だが、現実では極端な人見知りらしく、明らかに気後れしている。

 昴は差し出がましかったかと思い、やや恐縮した。

「あ、私うるさいほうだし。ゆっくり回りたいんなら……」

「ううん……ううん!」

 ドブネズミはものすごい勢いで首を振った。

「すば子さんが絵に感想くれるの、すごく嬉しかった!」

 昴は嬉しそうな笑顔を見せた。

 ドブネズミは田中《たなか》梅《うめ》という本名を名乗り、昴は凛風《りんぷう》という偽名を名乗った。本名は色々とまずい。

 自然と話題は『ライオットボーイ』のことになった。主人公ライオットの親友でライバルキャラ、メイヘムのことになると、昴はうっとりした顔で言った。

「メイヘムはライオットを裏切るんだけどね。でもライオットはメイヘムのやったことに怒っても、裏切ったことは許してた。メイヘムにはメイヘムの信じるものがあったってことを尊重してたっていうか。あのシーン、すごく好きだった。二人ともカッコ良くて。二人の間にはやっぱり信頼があったんだなって」

 昴が聖句の暗唱のように唱えるその言葉を、梅は真っ直ぐな目で聞いていた。それまでぽつぽつとしか口を開かなかった梅は目を輝かせ、拳を握って言った。

「わ……私も! 私もそう思った!」

「でしょ!? あなたの絵ずっと見てたからわかった」

 同じ宗旨の持ち主に会えたことは昴にとっても嬉しいことだった。

 館内放送が会場時間をアナウンスした。二人は十年来の友人のように連れ立ってアニメ版の原画、台本、キャラクター設定資料、初期稿などを見て回り、その都度濁点まみれの汚い悲鳴を上げたり原作のセリフを口にしたりした。

 梅はすぐに打ち解けてしきりに笑顔を見せている。

 イベント会場を出たところは物販コーナーで、その隣は映画館だ。映画館の入り口には立ち入り禁止のロープがかかっている。看板にポスターが貼られていた。

〝『ライオットボーイ』アニメ第三期プロモーション公開&主演声優トークイベント! あす開催! *前売りチケットが必要です〟

 イベントは土日と続けて開催されるのだ。昴と梅はそのチケットを見せ合った。二人とも明日も来る予定で、これを一番の楽しみにしていた。

 興奮冷めやらぬままコラボ喫茶に向かう二人から離れた場所に、異様な姿の男が立っていた。レインコートのフードを目深に被り、屋内にも関わらず防霧マスクを着けたままだ。

 足元に置かれたアタッシュケースには終末カルトのショップで売られている聖句キーホルダーがぶら下がっている。来客は気味悪げにその男を見、少し避けてその隣を通り過ぎて行く。

 男は展示物には興味を一切示さず、人波を血走った目で見つめていた。さかんに独り言を呟きながら、時々左手に持った小さなノートにペンで一心不乱に何か書き付けている。

「終末の時は今こそ来たれり……終末の時は今こそ来たれり……」


* * *


――日記 10月11日――

 すべてを終わらせる日は近い。

 今日一日で会場を下見しておいた。映画館は明日まで立ち入りできなかったが、ドアが開いてスタッフが出入りしていたから、覗き込んでおおよそ把握しておいた

 用意してきた爆弾の有効範囲は五メートル。だけどこれは結構重いし、最前列から投げても壇上まで届くかどうか。だが今さら怖気づいたりはしない。

 やはり最初の予定通り自爆で行く。明日のトークイベントが始まったら、警備員の横をすり抜けて壇上に上がり、爆弾を起爆する。これが確実だ。

 これは私の意思を世界に表明する使命なのだ。今こそ私の信じる力が試される。

 この場所に詰めかけた連中全員に何が起きるか見せてやろう。今の私には力がある。大きな力が。


* * *


「あー、予約がキャンセルされてますね」

 カウンターのパソコンを操作していたホテル従業員は、他人事のように梅に言った。梅は動揺して聞き返した。

「え……何でですか」

「さあ。手違いがあったんじゃないですか」

「他に空いてる部屋は?」

「ないね」

 従業員はもう話は終わりだとばかりに、手にしたスマートフォンに視線を落とし、それきり梅を一瞥もしなかった。

 梅は怒りに唇を震わせ、トートバッグを抱き締めたが、結局何も言えずに黙り込んでしまった。

 逃げるようにホテルを出ると、薬局に立ち寄って酩酊タブレットを買った。合法麻薬《エル》は未成年の購入・使用が禁止されているのだが、実際は明らかに未成年とわかる風貌でも「私は成人です」というタッチパネルに触れれば店員は何も言わない。

 梅は酩酊タブレットをかじりながら、行く当てもなく来た道を戻った。

 吊子去モール前のバス停にいた昴はその姿を見かけ、レインコートのフードを上げた。二人が別れてまだ五分も経っていない。

「あれ? 梅ちゃん、ホテル行ったんじゃないの?」

 梅はぼんやりと顔を上げ、立ち止まった。合法麻薬《エル》の影響で視線が定まらず、とろんとした目をしている。

「ああ……うん……予定が、何か……勝手にキャンセルされてて。泊まれなくって」

「何で?」

「わかんない」

 二人は数秒のあいだ、バス停の軒下で沈黙した。

 昴が言った。

「そっか。じゃあさ……どっかに一緒に泊まらない?!」


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