痛みを紡ぐ女(1/7)
*注意! この物語は性的虐待の隠喩があります!
1/7
男のつま先が死体にぶつかった。
「ヒッ!?」
男は悲鳴を上げ、思わずバールを取り落とた。
死体は轢き殺された猫のようだった。もはや赤黒い肉の塊でしかなく、背広らしいものを着ているということだけがかろうじてわかった。
「オエッ! こりゃヒデエな」
「何だ、どうした」
仲間がやってきた。
「ただの死体だ。しょっぺえな」
男は悪態をつき、あたりを見回した。幸い誰にも気付かれなかったようだ。
小さな工場や薄汚いプレハブ小屋が密集している工業区の一角だ。そのほとんどは倒壊し、燃えているものもあった。つい数時間前にここで爆弾テロがあり、工員や住人が何人も死んだのだ。
向こうでは救助隊が懸命の救助活動を続けている。だがこの男二人は救助隊員ではない。彼らはこの大事故に乗じ、ドサクサに紛れて金目のものを持ち去るためやってきたハイエナだ。
男は死体の懐をまさぐり、財布を見つけてにんまりした。免許証を取り出し、眼を細める。
「稲見《いなみ》紡《つむぎ》。女か?」
横から覗き込んだ仲間の男が、顔写真を見て笑った。
「カワイイ顔してるな」
「ヘッ! ハンバーグになってちゃしょうがねえ」
男は現金を抜き取って財布を捨てた。
メキメキメキ……グシャア!
横顔に生温いものがかかり、男は隣を見た。
仲間の男が握り潰した果実のように潰れている。搾り出された血があたりに飛び散っていた。
「え?」
仲間の男だったものは地面に倒れた。
その後ろに立っているのは、瓦礫の下にいた死体だった。明確な意思をたたえた眼で男を見ている。
稲見紡は男に手を伸ばした。その指先が喉元に触れた瞬間、男は絶叫した。彼の体もまたメキメキと音を立て、仲間の男と同じように潰れていった。
「あ……あ……! うわあああああああ!!」
グシャア!
* * *
「きのう昼ごろ、紅殻町《べんがらちょう》工業フォートで大きな爆発がありました。テロ攻撃と見られています。現在も生存者の捜索は続いており……」
桂馬《けいま》はスマートフォンでそのニュース映像を見ていた。
ドゴ! ドゴ! ドゴ!
目の前では桂馬と同い年の少年三人が、中年の男を取り囲んで袋叩きにしている。蹴られている男は路上生活の失業者で、知り合いでも何でもない。ただ暇を持て余した桂馬たちの目についたというだけだ。
桂馬を含めた四人は同じ高校の制服姿だ。うずくまった男を繰り返し蹴り上げていた少年が、ゲラゲラと笑い声を上げる。
「アッハ! 死んだかな?」
「まだ息してんぞ!」
桂馬はスマホを見るかたわら、その様子を見るとはなしに見ている。表情は無く、気だるげだ。
ここはビルの合間にある裏路地を少し入ったところで、すぐそこにある出口は大通りの歩道に通じている。歩道は多くの人通りがあるが、誰ひとり少年たちの様子に足を止める者はいない。
「おい、桂馬! トドメやらせてやるよ!」
仲間が振り返った。桂馬はボロ切れのようになっている失業者を無関心に見て言った。
「もう死んでね?」
「ア? ……ああ、死んでるわこれ」
少年の一人がつまらなそうに言い、最後に死体をもう一蹴りした。
四人は裏路地を出た。笑い声を上げ、アイドルや動画投稿サイトの話をし、牛丼を食べてから別れた。
ここは巨大工業都市、天外《てんげ》。汚染された霧雨が降り続け、晴れ間が覗くことのない市《まち》だ。防霧マスクを着けて道を行く人々は、必要以上に汚染霧雨を吸い込まないよういつも息を潜めている。
街角には市《まち》を事実上独裁支配している巨大企業ツバサ重工の広報電子看板が溢れ、プロパガンダを垂れ流していた。
桂馬は住宅街にある自宅に戻った。中流層の一軒家で、庭やベランダは汚染霧雨避けの温室めいたガラスドームに覆われている。
母親はいつも通りリビングで気絶するように眠っていた。テーブルには合法麻薬《エル》の空き箱が転がっている。父親は今夜も帰らないだろう。
桂馬は自宅に入った。後ろ手にドアを閉めようとして、彼は固まった。
ボロボロのパンツスーツを来た若い女が、彼のベッドに腰かけていた。元は真っ白だったワイシャツには乾いた血がべったり付いている。
女は微笑んだ。
「こんにちは、桂馬くん」
「紡さん」
桂馬は震える声でその名を呼んだ。
紡は口の前に人差し指を立て、小声で囁いた。
「ドアを閉めて」
桂馬はあわてて言われた通りにした。もっとも、母親はいつもこの時間は合法麻薬《エル》の酩酊タブレット、シンセメスク錠をしこたま齧っているから起きることはない。
紡はセミロングの黒髪をかき上げ、微笑んだ。
「元気そうですね」
「どうやって……」
「窓から入ったんです」
桂馬は部屋の窓を見てぎょっとした。ロックがものすごい力で引きちぎられている。一体どうやって?
紬は言った。
「一日だけ泊めてもらえませんか。お願いです」
「いいよ」
と、言うしかなかった。
紡は桂馬の目の前で服を脱ぎ、下着姿になった。全身生傷だらけで、あちこち打撲と切り傷だらけだ。彼女が平気そうな顔をしているのが桂馬には信じられなかった。
紡はベッドに潜り込むと、桂馬に向かって毛布を広げて見せた。
桂馬は首を振った。
「ソファで寝ますよ」
「暖めて欲しかったのに」
* * *
桂馬と紡は売春クラブで出会った。
クラブの名は『パーガトリウム』。繁華街の裏路地にある会員制の地下バーで、客層は限られた特権階級のみだ。桂馬は店の商品で、紡はそこの常連客だった。
パーガトリウムの舞台では毎夜ショーが催される。毎週曜日によって趣向が異なり、その日は拷問の日だった。
ひとりの少年が顔に布袋を被せられ、その上から拷問官役の女に水をかけられている。魔女裁判にも使われたという水責め拷問だ。
寝台に固定された少年は狂ったように手足をばたつかせ、ゴボゴボと悲鳴を上げた。その様子を見て客は笑ったり喜んだりしていた。
客席側は上映中の映画館のように暗く、最低限の明かりしかない。客同士のプライバシーを尊重するためだ。
紡は天外を裏から支配する大企業ツバサ重工の社員であり、父親が同企業の重役クラスなので、いつもいい席が用意される。桂馬は同じソファに並んで座っていた。
桂馬は床の相手としては不十分だったらしく、紡に一度買われてそれきりだった。だが性格は好かれていたらしく、紡が店に来たときは酒の相手をさせられる。
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ほんの5000兆円でいいんです。