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痛みを紡ぐ女(4/7)

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4/7

 だがドリルガイは空中で再び腰を引くと、さらにまた突き出した。その瞬間、いかなる原理によってかドリルガイの体は急激に再加速した!

 予想外の動きに疵女はかわすことが出来なかった。

 ドゴォ!
 ドリルが疵女の胴体を貫き、そのまま後ろの壁に押し付ける。

「アオオオオオオオオッ!」

 ドリルガイはさらに腰をピストンめいて激しく前後に振り、そこに円を描くような上下左右の動きを加えた。

 ドキュキュキュ!
 ドリルが疵女の腹に開いた穴をさらに大きくえぐり、広げていく。

「ゴボッ」

 疵女は眼を見開き、激しく血を吐いた。

 ドリルガイは両手を腰に当てて背を大きく仰け反らせた。

「ハハァッ! どうだ、この動き! こんなの初めてだろう!?」

 疵女はおびただしい量の血を口から吐き出した。腹の穴からズタズタにちぎれた内臓がこぼれ落ちる。

 だが疵女は笑っていた。なおもドリルガイが激しく腰を動かすのにも関わらず、彼女は一歩前に出た。

 さらに一歩。もう一歩。自らより深々と突き刺さりながら、徐々にドリルガイに近付いていく。

 ドリルガイは呆気に取られた。

「あ?」

「ゴボッ……! アハッ、アハハハハ! 追っ手が自宅を押さえてるなんてわかり切ってましたよォ。わかってて来たんです!」

「……あ?!」

 疵女の両手がドリルガイを掴んだ。その瞬間、疵女の全身から黒い霧のようなものが噴き出した。霧は手を伝ってドリルガイへと移る。

 メキメキと音を上げてドリルガイの腹が裂け始めた。見えない何かをえぐり込まれたようにして――そう、まさに疵女の腹の穴と同じものが、彼自身の腹に生じつつある!

「〝ギフト〟。闇撫家の能力なんですけど! ダメージを他人に譲り渡せちゃうんですよ!」

 これこそが紅殻町工業フォートで男二人の命と引き換えに疵女の命を繋いだ能力だ。

 だがしょせん人間のダメージ許容量などたかが知れている。疵女は完全回復のため、許容量の大きい血族が待ち伏せしているであろう自宅へあえて戻ったのだ。

 ガッ!
 疵女は渾身の力でドリルガイを蹴り飛ばした。ドリルが腹から抜けると、その傷の穴もたちまち塞がった。

「グオオオ!? アア! ゴブッ、ゴボボボボ……!」

 胴体に大穴の開いたドリルガイは床を転げ回った。腹の穴から血とズタズタの内臓を噴水のように噴き出している。股間のドリルもやがて停止した。

 疵女はすっきりした顔で髪を撫で上げた。その体には傷一つなく、完全回復していた。

「こんなの初めてでしょ?」

 ドリルガイが完全に死んだことを確かめ、疵女は寝室へ向かった。

 寝室はすっかり荒らされ、彼女の下着や、少年に使用するための性玩具などが散乱していた。ドリルガイが漁ったのだろう。疵女はつぶやいた。

「変態野郎」

 クローゼットの奥からアタッシュケース大のコスメケースを引っ張り出した。こちらは無事でほっとした。

 無事な下着とパンツスーツに着替えると、コスメケースを抱えてバスルームに戻った。

 途中、リビングのソファを見つめた。毎朝出勤前はここに座って、櫃児にマニキュアを塗らせていたことを思い出す。疵女の胸に込み上げるものがあった。

 バスルームに入ると、バスタブに腰かけて待っていた桂馬が顔を上げた。多くのことを聞きたそうな顔をしていたが、疵女は何も答えず、彼を抱いて入ってきた窓から飛び出した。

 壁を伝って地上に滑り降り、ARK天外の表に回った。待っていろと言ったはずのタクシーの姿が消えていた。待ち切れずに別の客を拾いに行ったか。

 ARK天外の地下駐車場には紡の車がある。だが自宅に追っ手がいた以上、車のほうにも何か細工がされているかも知れない。

 疵女はあたりを見回した。

「ああ、ちょうどいい」

 エアロック前の路肩に真っ黒な高級車が停まり、高そうな服を着た中年の男が助手席に女を乗せようとしている。疵女はそちらへとつかつかと歩いて行くと、何も言わずに男の首をへし折った。
 ゴキャッ!

 悲鳴を上げるため息を吸い込んだ女の首に、疵女はさっとバタフライナイフを振った。喉を横一文字に掻っ切られ、女の悲鳴はゴボゴボという詰まった排水口のような音に変わった。

 疵女はバタフライナイフを片手で振って閉じ、車に乗り込んだ。桂馬が呆然としたまま助手席に乗ると、車は急加速してその場から飛び出した。

 桂馬は振り返って二つの死体を見ながら、搾り出すように呟いた。

「メチャクチャだよ、あんた」

 疵女は笑った。

「でしょうね」


* * *


 話は過去に戻り、櫃児が死ぬ四日前。

 その日の朝、出勤前の紡は櫃児にマニキュアを塗らせていた。ARK天外の彼女の部屋だ。紡が櫃児をパーガトリウムから買い取って一ヶ月が過ぎている。

 櫃児が紡の指にふうっと息を吹きかけ、塗り立てのマニキュアを乾かす。その様子を紡は眼を細めて見ている。

「上手だわ」

「ありがとうございます!」

 寝癖をつけた櫃児はニコニコしながら言った。毎朝のことでも、褒められるのが嬉しくてたまらなかった。

 玄関ドアのチャイムが鳴り、紡は玄関インターホンのモニタを見た。みるみるうちに彼女の顔色が変わった。紡は櫃児に言った。

「櫃児くん、寝室のベッドの下で耳を塞いでいなさい。私が呼びに行くまで絶対に出て来ないで」

「はい? ……はい」

 櫃児は言われた通り寝室へすっ飛んで行った。ドアをぴったり閉じ、クイーンサイズベッドの下に潜り込むと、両手で耳を塞いだ。

 それでも紡と、誰か男の声がわずかに聞こえた。あまり若くはない男の声だ。それは猫撫で声だったり怒鳴り声だったりした。

 しばらくすると何かが倒れるどしんという音がした。

 どのくらいか時間が過ぎ、やがて玄関ドアがまた開く感じがした。次はもっと若い男と、知らない若い女の声がした。

 パァン! パァン!
 二度の銃声がし、若い男女の声は消えた。

 あとは最初に聞こえた、あまり若くはない男の声がずっとしていた。それは悲鳴だったり、懇願だったり、苦痛に喘ぐ音だったりした。

 いったいどのくらいベッドの下にいるのだろう。櫃児は徐々に不安になってきた。紡が心配だったが、彼女には逆らいたくなかった。恐れているからではない。紡が好きだったからだ。

「ダメだダメだダメだ」

 櫃児は焦って呟き、ことさらに耳を強く塞いだ。

 パァン!
 また銃声。

 しばらくして寝室のドアが開いた。彼はひっと小さく悲鳴を上げた。ベッドの下にやってきたのは紡の足だった。爪に自分が塗ったペディキュアが塗られているからすぐわかった。

 紡はひざまずいて身を屈め、ベッドの下を覗き込んだ。

「出てもいいですよ」

 櫃児はぎょっとした。紡の顔もワイシャツも血まみれだったからだ。紡はリビングへ戻って行く。櫃児は呆然とそのあとに続いた。

 リビングには三つの射殺死体があった。恐らく最初にやってきた若くない男はテープで椅子に拘束されている。床に倒れているのは若い男女。

 櫃児は取り乱さなかった。悲鳴を上げることも泣くこともせず、桂馬に殴られたときのようにキョトンとした顔で死体を見ていた。

 紡はソファにぐったりと座った。若くない男を見る。

「この人ね、私の父親なんですよ」

「えっ」

「突然やってきて、あのことを喋らないでくれって。十三年前……私が十二才のときから、この人が私に何をしていたか。夜な夜な私のベッドに潜り込んで何をしてたか。兄夫婦に子どもが出来たから、それを言わないでくれって。私が黙っていると、父さんは怒鳴って、私を殴りました。そうすれば私が言うことを聞くと思ったんでしょうね。昔と同じように」

 櫃児は鼻をすすり、紡の前にひざまずいた。紡のうつむいた顔を真っ直ぐに見上げて覗き込む。

「今日は言うことを聞かなかったんですね」


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