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11.日与の休日 炎の血を流す人(5/5)

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5/5

「……」

 首上は息を飲むような音を立て、しばらくしてから言った。

「森田くん」

「あんま喋るな。あんた、内臓がどうにかなってる」

「自分で救急車を呼びますから。迷惑はかけない」

 日与は車通りのない道の脇に首上を降ろした。

 首上は苦労して仰向けになると、防霧マスクを外し、血の混ざった咳をした。日与をじっと見つめる。

「何でぼくを助けたんですか」

「さあな……何でだろうなあ。まあ、他にやることもねえしな」

 日与は彼のかたわらにしゃがみ込み、言った。

「あんたこそ何でツバサを敵に回した?」

「理由かあ……」

 首上は暗雲が垂れ込めた空をぼんやりと見つめながら、ひとりごとのように言った。

「昔、イジメられてたんですけど。ある日ブチ切れて殴り返したことがあった。忘れられないんですよ。あのときの……あのイジメっ子たちのびっくりした顔、バカにしてたクラスメイトたちが目をいっぱいに開いて、僕を怖がってた顔……すごく……なんて言うか……」

「スカッとした?」

「そうです。すごく。工場を爆破するたびにあのときのことを思い出した。それが忘れられなくて、何度も何度も爆破して……」

「そりゃ楽しかっただろうな」

 日与は笑い、首上も笑った。

 ふたりが上げた空しい笑い声は汚染霧雨に溶けて消えた。首上を見る日与の胸には、表現しがたい感情があった。連帯感、共感、そして同族嫌悪に似た何かが。

 首上の声は徐々に小さくなって行った。

「こんな市《まち》に生まれて、僕みたいな奴は他に何をやれば……他に何をして生きていけば良かったんだ……」

「悪いがそろそろ行くよ。じゃあな」

「……」

「首上さん?」

 首上はもう息をしていなかった。

 彼の手から落ちたスマートフォンを見ると、待機状態のままでどこにも繋がっていなかった。最初から救急車を呼ぶ気などなかったのだ。

 日与は霧雨を浴びながら、ポケットに手を突っ込んで歩いた。

 工場にこっそり舞い戻ると、ルースターが休憩所から這い出してきたところだった。たった今気絶から覚めたようだ。人間の姿に戻っている。かなりのケガを負っていたが、構わず彼は誰彼となく聞いた。

「おい、誰かニワトリ頭のヤツを見なかったか!」

「見た」

 日与が言い、明後日の方向を指差した。

「あっちに行くのが見えた」

「クソッ、逃がすか!」

 ルースターは車に飛び乗った。

 日与は考えた。首上は指名手配犯として逃亡する一方、ツバサ重工の元社員だと同僚にバラし、それで現場監督にタレ込まれた。

 矛盾だらけの彼の行動が日与にはある程度理解できた。首上は今日という日が来るのを待ち続けていたのだ。すべてが終わる日を。首上の言う“水槽”から永遠に解放される日を――


* * *


 土曜日、夜。繁華街の隅にある古びた喫茶店。

 ライブは一時間前に終わり、閉店時間を過ぎている。店内には出演したバンドが数組残って打ち上げをしているところだ。

 稲日、リク、真魚の三人はジュースを飲みながら今夜のことを話していた。前座にしては思いのほか盛り上がったが、稲日だけは表情が暗い。

 ギターケースを脇に置いた稲日は髪を丹念に編み込み、レザーのジャケットを着て、体にぴったりしたミニワンピースを着込んでいる。日与に見せたかったとっておきの服だ。

 リクが稲日に気遣わしげな声をかけた。

「稲日ちゃん、もう帰んなきゃ。こんな時間だよ」

「……」

 稲日は目を伏せた。

 今夜、日与は来なかった。いつか消えそうな奴だとは思っていたが、こんなに突然とは思わなかった。

 店を出た稲日は商店街で二人と別れ、地下鉄の駅に向かった。だが途中でふと足の向きを変え、日与と再会したアーケード街へ向かった。

 異態ウシガエルの腿肉フライを売る屋台に立ち寄った。日与の行方を知らないか聞こうと思ったのだ。

 太った禿げの店主は稲日の顔を見ると同時に口を開いた。

「来たね、お嬢ちゃん。彼氏から預かりものがあるよ」

「彼氏って?」

「あのコワい目をした男の子。たぶんアンタが来るだろうからコレを渡してくれとさ」

 店主はエプロンで手を拭き、店の奥から花束を取り出して彼女に渡した。包装紙が若干油っぽくなっているが生花はまだ新鮮で、爽やかな香りを漂わせている。

「ありがと、おじさん」

 店主はニヤリとした。

「若いっていいよな。ヒェッヘッヘッヘ!」

 花束には手書きのメッセージカードがついていた。

〝イナビへ 行けなくてごめん。いつか何もかも済んだらまた会いに行く。 追伸:ライブは遠くから見てた。その服、似合ってる〟

 稲日はメッセージを胸に押し付けると、顔を赤らめて自分の服を見下ろし、それからあたりを見回した。

「日与」

 いつも二人で腰を下ろしていた壁際に目が行った。

〝ここは雨ざらしの地獄〟

 その落書きに更に一文が書き足されていた。日与が書いたのだと稲日は直感でわかった。

〝そして俺たちの故郷〟


* * *


 日与はビルの上に立ち、ウシガエルフライ屋の前にいる稲日を見ていた。

 つい先ほども別のビルから血族の超人的視力を凝らし、店の窓越しに稲日の演奏を見ていた。

 日与は走り出した。雨ざらしの地獄、自らの故郷へと。

(首上さん、まあ見ててくれ。俺とアンタが同じなのか、違うのか)


(続く……)


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