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11.日与の休日 炎の血を流す人(2/5)

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2/5

* * *


 翌日。

 ツバサ重工第四四三二号化学工場の高所には作業員たちが張り付き、血管網じみて張り巡らされたパイプの交換作業を行っていた。天外は一年を通して汚染霧雨が降り続けるため劣化が早いのだ。

 工業高校で成績の良かった日与はすぐに作業に慣れた。同じ短期労働者と協力しながら錆びた止め具を電動工具で強引に外して行く。

 足場は狭い上、汚染霧雨でぬめっている。ある作業員が錆びたパイプを外すため、手すりを乗り越えようとしたとき、足を滑らせた。

「わっ……」

 日与がとっさに手を伸ばし、作業員を足場に引き寄せた。

「手すりを越えるときは安全帯(命綱)をかけてからだ!」

「あ、ああ」

 その同僚は顔色を変えたまま安全帯のカラビナを手すりにかけた。

 日与の相方がラチェットを上下させながら囁いた。

「あいつ、安全帯の使い手もわかってねえ。どこから来たと思う?」

「さあ」

 相方は例の男をちらりと見てからクックッと笑った。

「元ツバサの社員なんだとさ。なんかやらかしてクビになったらしい。雨ざらしの地獄へようこそ!」

 昼十二時のサイレンが鳴り、作業員たちはプレハブの休憩所へ向かった。合成食品弁当を受け取ってテーブルにつき、みな黙々と口に運ぶ。

 無機質な味の弁当を日与が掻き込んでいると、例の元ツバサ社員の姿が見えた。弁当を手に適当な席に着こうとしたとき、横に座っていた作業員が乱暴に椅子を蹴飛ばした。

「そこは予約済みだ。失せろ!」

 別の場所に着こうとすると、別の作業員にまた同じことをされた。

 この手の短期契約に集まるのは身元の怪しい流れ者ばかりで、みな野犬のように荒んだ目に冷たい敵意を秘めている。日与も最初は同じ嫌がらせをされたが、その作業員の頭を掴んでテーブルに叩きつけたら二度と絡んで来なかった。

 元ツバサ社員はそこまでする度胸はないようだ。おそるおそる日与の隣まで来て、彼の様子をうかがった。日与が黙って食事を続けていると、ほっとした様子で席につく。

「さっきはありがとう」

 ひどく疲れた顔のせいで遠目には四十過ぎに見えたが、実際はまだ二十代の後半くらいだった。

「首上《すがみ》と言います」

「森田」

 日与は偽名を名乗り、聞いた。

「あんた、ツバサの社員だったって?」

 首上は気弱げに笑った。

「末端ですよ。チリみたいなもんです」

「コキ使う側が何で使われる側に?」

「辞めたんですよ。自分から」

「社畜より雨ざらしの地獄で野良犬やるほうがマシだと思ったか」

 首上はぐっと息を飲むような顔をし、堰を切ったように話し始めた。

「友達も恋人も作らず死ぬ気で勉強して。今、息苦しいのは水槽の中にいるからで、勉強さえすればそこから抜け出せるって両親は言ってた。でも抜け出した先はもっと大きい水槽の中だった。その先にはもっと大きな水槽があって、クソみたいな学校。クソみたいな会社。クソみたいな連中……永遠にクソが詰まった水槽で……」

「おい、やめろ」

 日与はなげやりに手を振って遮った。

「俺はカウンセラーじゃねえぞ」

「……すみません」

「あんたの事情なんか知るかよ」

 間もなく午後の作業が始まった。

 直後、地上の資材置き場で騒ぎが起きた。日与は足場から身を乗り出してそちらを見下ろした。

 監督が倒れた作業員を壊れた工具のように爪先でつついている。

「浅川! おい! あー……こりゃダメだな」

 倒れた作業員は目を真っ赤に充血させ、泡を噴いている。監督は苛立たしげに舌打ちすると、彼を工場外に捨ててくるようにほかの作業員に命じた。

 日与はそちらを見ながらパイプ交換作業の相棒に聞いた。

「何か病気でもあったんすか、あいつ」

「浅川か? ありゃ過労だな。ずっと合法麻薬《エル》でごまかしごまかしやってたからなあ、そういう奴はある日いきなりブッ倒れる」

 会社は市当局の監察が入ることを何よりも嫌がるため、現場でケガ人や病人が出た場合は公道に放り出して自分で救急車を呼ばせる。個人が職場の外で勝手にケガをしたことにし、何の責任も取らない。

 それでも訴え出る作業員がほとんどいないのは、この仕事が防霧マスクフィルタの支給と空気清浄機付きの寮がある最低ラインだからだ。ここより下にはそれすらない。

 霧雨病への恐怖が市民を聞き分けのいい奴隷にしているのだ。

 日与は浅川が工場から運び出され、少し離れた路上に降ろされるのを見ていた。置き去りにされた浅川はぴくりとも動かない。

「自分で救急車なんか呼べなさそうだけど」

「それが俺らに関係あるか?」

 同僚は無関心に言い、仕事に戻った。

(それもそうだ)

 日与も視線を手元に戻しかけて、また浅川のほうにやった。

 浅川を運び出した作業員のひとりが小走りに駆け戻り、彼の具合を見ている。首上だった。自分のスマートフォンを取り出して操作している。救急車を代わりに呼んでやっているらしい。

 急いで工場に戻った首上を現場監督がいきなり殴った。

「余計なことしてんじゃねえ!」

(血族を殺す、明来の病気を治す。俺がやんなきゃなんねえのはその二つだ。それ以外は知ったことじゃねえ)

 日与は自分に言い聞かせ、仕事に戻った。



 その日の帰り、日与はアーケード街を通ったものか迷った。

 向こうでは昨日と同じ〝ここは雨ざらしの地獄〟と落書きされた壁の前で、稲日がベースを爪弾いているのが見える。

 長いあいだ迷ったが、暗闇の中で光を見つけた蛾のようにそちらに向かってしまった。

 稲日が笑顔で迎えてくれたのが日与には嬉しかった。昨日と同じようにふたりは並んで座り、ジャンクフードを食べながら話をした。

 稲日がふと言った。

「日与ってあんま自分のこと喋んないよね」

「つまらない男なんだよ、俺は。話すことがないんだ」

「あたしと話してるじゃん。今日もこうして」

「別にお前を避けることもないだろ。イヤか?」

「へへ。イヤじゃないよ」

 稲日は嬉しそうに笑い、ベースを掻き鳴らした。

 日与はカエル肉の骨を噛み砕きながら言った。

「俺が〝炎の血を流す人〟っていうのは何で?」

「え~……」

 稲日は恥ずかしそうに笑いをこぼした。

「ほんと言うと、いつもあんたのこと見てた」

「俺を?」

 日与は驚いた。全然気付かなかった。

 稲日は眼を伏せ、続けた。

「あんたはいつも全力で怒ってるけど、それはいつだって他人のためだった。傷付けられた人のために怒ってる姿が、炎の血を流してるみたいで……」

 じっと自分のほうを見ている日与の脇を、稲日は肘で突いた。

「告《コク》ったとかじゃないからな!」

「いや……わかってるけど」

 日与は笑い、ため息をひとつ挟んで言った。

「ガキのころから周りで何かが起きるときはいつも突然だった。団地の誰かが消えたとか、家族を殺したとか、合法麻薬《エル》買うために強盗したとか。みんな後先のことなんか何にも考えてなかった。お前の回りには考えてるヤツいた?」

「ううん……どうだろ。あんま思いつかない」


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