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20.再戦の時(3/3)

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3/3

* * *


「ヤツは下水道に逃げ込んだ。アンデッドワーカーを投入してすべての出入り口を塞げ。絶対に逃がすな」

 ヒッチコックはインカムで部下に命令を飛ばすと、スティングレイの死体を一瞥した。借用書はすべて燃え尽きている。これでは誰かに仕事を継がせることも出来まい。

 九楼が笑い、血の混じった唾を吐いた。胴体を手で押さえて立ち上がっている。

「スティングレイは血盟会に大いに献金してくれた男だったんですがね」

「大失態ですぞ、九楼殿」

 ヒッチコックの冷徹な声色に、九楼はとぼけたようにもう一度笑った。

「古参組が全員で来るとは予想外。お暇でしたか?」

「口を慎まれよ! 血盟会の仇敵を二度も生かして逃がすとは!」

「ハハハ……」

 九楼は割れていない日本酒の瓶を手に取った。ヒッチコックにも勧めたが、彼はひと睨みを返しただけだ。

 九楼は酒をあおり、呟いた。

「旧友に乾杯」

 ヒッチコックは九楼をいぶかしんでいた。付き合いは長いが、この男が何を考えているのかいまだにわからない。


* * *


 一日後。

 天外から遠く離れた高地。汚染霧雨雲もここまでは届かない。その空気の良い森林の中に、大きなサナトリウムがある。

 石音明来はぼんやりと眼を覚ました。個室のベッドに横たわり、呼吸器をつけられている。

「明来」

 ベッドサイドに立った日与は双子の兄を見下ろした。痛々しいほど痩せて顔色が悪い。まるで末期の老人だ。枯れ枝のように細くなった腕には青黒い血管が浮いていた。

 明来は夢だろうかと疑っている顔だ。日与は笑って首を振った。

「夢じゃない」

「どうしてここに」

「ちょっと寄ったんだ。こっちは前に電話で話した……」

 隣の稲日は小さく笑った。

「はじめまして。稲日です」

「彼女さんか。キレイな髪だね」

「あ……ありがと」

 稲日は髪を撫でて照れた。明来と日与は同じ顔なのにまったく性格が違う。

 日与は明来に囁いた。

「色んな人に会ったよ、明来。稲日はバンドでメジャーデビューしたいって言ってる。お前は医者。仲間は賞金稼ぎ。みんな夢を持ってた。俺はさ……」

 日与は一度目を伏せ、言った。

「俺はみんなが夢を叶えるのを手伝いたい。それが俺の夢だ。そのために霧雨病をこの世からなくす」

「そっか……自分の夢を見つけたんだな」

「ああ。出来る限りやってみる」

 日与が手を差し出した。明来はしばらくその手を見つめたあと、自分の手で握り返した。

 明来は身を乗り出し、ベッドの横のゴミ箱から本を取り出した。医大受験の参考書だ。団地にいたころからずっと使っている、すっかり擦り切れた本で、たくさんの付箋が付いている。それを枕元に置き、ため息のように呟いた。

「おっと……こんなところにあった。まだ要るんだよ、これ」

 日与は泣いているような笑っているような顔で頷いた。

「じゃ、行ってくる」

「ムリすんなよ。稲日ちゃん、弟を頼むぜ」

「うん。またね」

 サナトリウムを出ると日与は稲日を抱き上げ、来たときと同じように山を駆け下りて一直線に駅に向かった。

 二人は電車の座席に並んで座った。遠くから見る天外は黒い覆いめいた雲に包まれている。病、悪徳、腐敗が渦巻く雨ざらしの地獄、日与たちの故郷。

 だがこんな世界でも夢を持って生きている人たちは確実にいた。その人たちは今も人知れず奮闘している。

 日与は稲日に言った。

「佐次郎さんと会ったのか?」

「ううん。会わない」

「まだ怒ってるのか」

 稲日は顔をしかめた。

「父さん、私に何にも説明しなかったもん。それでまた危ない目に遭ってた。全然変わってないのよ、あの人」

「俺を助けるためだったんだよ」

「それはわかってるけど……」

 稲日は複雑な表情をした。

「ちょっと時間がいるかも」

「そっか。あの人、これからどうするって?」

 稲日は笑い声を漏らした。

「父さん、元部下の人とラーメン屋始めるんだって。信じられる?」

「そのうち顔を出すよ。ラーメンは好きだ」

 天外に入った。次は天外駅だとアナウンスが告げている。日与はそこで降りるが、稲日はまだ先の駅だ。

 日与が席を立つと、稲日は不安げに言った。

「戻ってくるよね?」

「ああ。必ず」

 稲日は目を輝かせた。

「私ね! あんたを待ってるだけっていうのはやめる! もっといっぱい曲を作るよ。いつか市《まち》中に、世界中に私たちの歌を届けるんだ。日与にも届くように」

「お前なら出来るさ。待ってるぜ」

 稲日は悪戯っぽい笑みをし、日与のポケットを探った。日与はくすぐったそうに両手を上げた。

「今日はないって!」

「アハハハハ……!」

「またな!」

「うん」

 日与は電車を降りた。手を振って車窓の稲日を見送る。

 しばらく微笑したまま電車を見つめていたが、すぐに表情を引き締めた。駅の出口へ向かって歩き出す。

 日与はポケットからメモ用紙を一枚取り出し、走り書きを小さく読み上げた。

「黄泉峠《よもつとうげ》の比良坂《ひらさか》。一番大きなタワーマンション」

 このメモはいつの間にか上着のポケットに入っていたのだ。戦闘中に九楼がそっと忍ばせたに違いない。鳳上赫の居場所だろう。

 あの男は自分が負けることをわかっていたのだろうか? 何を考えているのかまったくわからない奴だ。


(続く……)


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