12.昴の休日 ロストハート(2/5)

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2/5

「え?」

「私もあんま帰りたくないんだ。家帰っても一人だし」

 昴は苦笑いした。

「同居人ならいるんだけどね、働きに出てるの。来週まで帰らないって」

 梅は目を伏せて何か言葉を探している様子だったが、結局流されるようにして頷いた。

 安いビジネスホテルはほとんど満室で、二人はビジネス街から繁華街へと流れ、中世の城のような装いのホテルにやっと空きを見つけた。

 そのホテルは受付がなく、壁にかけられた室内の写真パネルの番号を選んで自販機でキーを受け取る形式になっていた。居合わせた中年カップルにじろじろ見られて梅は物怖じしていたが、好奇心旺盛な昴は探検に来た男の子のようにわくわくしている。

 昴は部屋に入ると、電灯スイッチを入れた。思ったより綺麗で広いが、奇妙なことに隣のバスルームとのあいだの壁がガラス製で丸見えになっている。

 昴が別のスイッチを押すと天井の明かりがブラックライトに変わり、ベッドの足元に怪しいピンクの間接照明が灯った。

 昴と梅は呆気に取られ、しばらくそれを見ていた。

「何か……すごい部屋だね」

「うん……」

 二人は泡風呂に入って備え付けの部屋着に着替えた。ジャンクフードを食べながら物販で買ったグッズを品評したり、ダブルベッドで飛び跳ねて笑い転げたり、大画面テレビでポルノ動画を口を開けたまま見るなどした。

 どれもかつて昴が暮らしていた購坂フォートになかったものばかりだった。

 梅はほとんど絶え間なく合法麻薬《エル》の酩酊タブレットをかじっている。度を越した量だが、昴は何も言わないでおいた。出会ったばかりで差し出がましいと思ったからだ。

「同居人ってどんな人?」

 ベッドの隣に腰かけた梅の言葉に、昴はテレビに視線を向けたまま答えた。

「男の子。あ、でも恋人じゃないよ」

「一緒に住んでるのに?」

 昴はうーんと唸り、スナック菓子を齧りながら言った。

「だって私、いつも視界の七割くらいに好きな漫画とかアニメとか妄想とかが交じり合ったカオス空間が展開してるし。残り二割が毎日の生活とかのことで、あとの一割でしか前を見てないからいつも余裕がなくて、すぐパニクるし。それなのに恋愛なんかしてる余裕ある? 視界のたった一割で、探してもいないものを見つけるなんてさ」

「ああ……うん」

 梅は深く同意を示した。昴は梅に笑いかけた。

「お酒とか煙草みたいに、味がわかるまで待ってもいいんじゃない? それがいくつになるかわかんないけどね。テレビ消していい?」

「うん」

 昴はベッドに仰向けになった。

「梅ちゃんはさ……友達っていた? 本当の友達」

「いたよ。小、中と学校が一緒でね」

 梅も隣に仰向けになり、天井を見つめた。合法麻薬《エル》で瞳孔が拡大しがちのその目には、昴にはうかがい知れない感情があった。

「高校が別になってそれっきりだったんだけど。えっと……明日のチケット持ってる?」

「うん? うん」

 昴はベッドの枕元の財布からトークイベントのチケットを取り出した。新ヒロイン役に抜擢されたアイドル声優、明頭《めいず》きりの写真が載っている。

「そのコなの」

「え?! 明頭きりと知り合いなの!?」

 昴は飛び起きた。

「すっごい! 人気声優じゃん!」

「声優が発表されたときね、きりちゃんは私の知らないところでずっと頑張ってたんだなって嬉しかった」

 梅は笑い、それから目を伏せた。

「きりちゃん、事務所に毎週脅迫状を送られてるんだって。『ライオットボーイ』に登板が決まってから、爆殺してやるって」

「ああ。たまに聞くね、そういう話」

「でもきりちゃんは負けなかったんだよ。すごく強いコなんだ。明日、三年ぶりに会えるの。ずっと楽しみにしてた」

「あー……そっか。だから私は梅ちゃんの絵を好きになったんだ」

「え?」

 昴は天井を見つめながら続けた。

「梅ちゃんが描いたライオットの絵とか漫画はさー、メイヘムとの別れがテーマのが多いじゃない。だから……えっと……言葉にできなくてごめん。何か……難しいんだけど。SNSでもイミわかんない感想ばっか付けてたし。〝いいとしか言えない〟とか。とにかく……梅ちゃんの絵が好き!」

 昴は笑いかけた。梅はぐっと息を飲み、顔を赤らめた。

「あ……ありがとう、すば子ちゃん」


* * *


 その日の深夜。

 閉店後の吊子去モールの前に、一人の男が立っていた。

 背広にレインコートを着込んだあの男である。防霧マスクで顔を覆った彼はわき目も降らず、ただ閉ざされた自動ドアだけを見ていた。

 閉店後数時間、男はずっとここでこうして立ちっぱなしでいる。正気の人間ならありえないことだが、彼は正気ではないし人間でもない。

 男は時々ビジネスバッグを地面に置き、ポケットからノートを取り出してはそれを読み直したり、一心不乱に何かをペンで書き付けたりしている。ぶつぶつと同じことを呟きながら。

「終末の時は来たれり……終末の時は今こそ来たれり……」

「おい、おっさん」

 通りかかった大学生のグループが男に声をかけた。男女五人で、だいぶ酒が入っている。みな髪を染め、親の金で買った高い服を着ていた。

「何やってんの、あんた」

 ニヤニヤ笑いを浮かべた大学生たちに、男は振り返りすらしない。

「終末の時は来たれり……終末の時は来たれり……終末の神は信者に救済をもたらし……不信心者の体を百と八つに引き裂くであろう……」

 一番軽薄そうな顔をした大学生が、息がかかるくらい間近に男に近付くと、ビジネスバッグを指差した。

「あのさァ、そのバッグって何が入ってんの? 見せてくんね?」

 大学生が男の足元からビジネスバッグを取り去ろうとした。その顔面に奇妙な文様が描かれた紙切れが貼り付いた。男が貼ったのだ。

「ア?! 何だよ、これ!」

 男は残り四人にも次々にノートのページを放った。それらは手裏剣のようにくるくると回転しながら飛んで行き、大学生たちの顔や体にぴったり貼り付いた。

 男は振り返った。そしてただひと言だけ口にした。

「炎」

 ボムッ!
 大学生たちの体は突然たいまつのように燃え上がった!

「ギャアアアアア!?」

 彼らは焼け付く喉から悲鳴を搾り出し、狂ったネズミのようにあたりを走り回ったあと、わずかな炭クズを残して燃え尽きた。汚染霧雨と早朝の清掃係がやがてその痕跡も消すだろう。

 再び吊子去モール前は静かになった。男は何事もなかったように視線を自動ドアに戻し、それを凝視した。

「終末は……今こそ……来たれり……!」


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